どこにむかいたいのか

 セブンイレブンの各オーナーの、まぁ7割方は現状維持を望んでるだろう。中企業サラリーマン並に稼げてるのは3割いかない(夫婦共働き&深夜勤務含める・子供の学費は…難しいと思う。奥さんがパートに出れないわけだから)だろうが、多少つらくても死にはしないというあたりで生きてくことに慣れてしまえば、大概のことはどうでもよくなる。そーゆー努力根性を賛美するクニだし。まぁ実際、人間20を過ぎれば生きてても死んでてもどーでもよくなる。

 逆に、フランチャイズの傘から外れることに恐怖を抱く人だって当然多い。自分で市場に行って自由に仕入れていい、そこらをうろつく問屋と勝手に交渉していいと言われても、どうすればいいか判らないとなる。ホントは、そーゆーときに新規開店のアドバイスから卸値100円1個だけ緊急配達まで、フランチャイズ本部で偉そうに誇ってみせる以上の大概の業務フォローを請け負う細かさこそが日本の問屋業なのだけども。問屋、ホントに何でもやるよ。やらないのはTVCMだけ(それすら大手スーパーと付き合うと広告協力費とか出させられたりする)だよ。

 それでも、巨大なものに支えられてるという安心感は、結局のところ何者にも代えがたい。個性にしても人間性にしても思想にしても自我にしても、国家なり、日本語なり、歴史なり、宗教なり、大きい何がしかに寄りかかりながらでないと成立しない。個人主義の横行を利用して肥え太ったフランチャイズというよりかは、国家も宗教も歴史も頼れない中で誰でも一人で生きていけると教え諭してくれ、自我なるものと相性がよすぎたのが、フランチャイズでありコンビニ。

 こないだの院内集会に顔を出してきたが、彼らの、少なくともごく一部の人たちは、それを解体しようという明確な意思を持ってやってる。生きてく上で・モノを売ってく上で何の保証もない「普通の小売業」に、コンビニを戻そうとしている。組合と言いつつ、一部で考えてることは、かなりラディカルで面白い。というのはこっちの勝手な憶測だが。