「繰り返す」ことの、利点は何か

 欠点があれば長所もある。「繰り返す」はどういう使い方に向いてるか。

 よく知られた「ゲーム」の効用は、今だと全国紙の新聞記事でも取り上げられる「学習に役立つ」だ。「大航海時代online」をプレイさせて世界史に興味を持ってもらい学習効果が高まる研究(とゆークソ真面目な論文があって)はどうかと思うだろうが、ボードゲーム大国ドイツだとゲームが完全に「教育」のラインで扱われるとゆー話は有名だろう。

 じゃ、何でゲームは教育効果が高いのか。

「繰り返す」からだよな。似たようなことを何度も繰り返し、その結果に生じる細かい差異からフィードバックされて、何が同じで、何が異なるか、の区別が素通りされず確認されるようになる。教育効果とやらは「同じようなことを繰り返す」という特徴と完全にワンセット、不可分だ。

 では教育や学習に無縁と思われるゲームでの「繰り返し」は、学習に関係ないから効果が空回りしてるかといえば、当然違う。学習効果は「細かな違いが拡大・増幅されて、誰にでもわかりやすくなる」という形で発揮される。

 戦術シミュレーションなら、パラメータ数値が1違うだけで結果が変わる。
 シューティングなら、1ドットの隙間をこじあけて弾幕の安全地帯が開発される。
 格ゲーなら、ソリッドファイター完全版的な1/60秒の反応勝負へ。

 恋愛ギャルゲーなら、女の子の微妙な反応の差が、そして「普通なら見過ごされてしまいそうな、日常の些細な出来事」がクローズアップされるようになる。

 では、サウンドノベルビジュアルノベルならばどうかといえば、つまり、読者に対し、「ここ、この一文の違いがチェックポイント、試験に出るからね!」と、とても判りやすく、違いを伝える。

 シナリオライターがよく誤解してそうなあたりだが、たとえ書き手が意識していなくても、その直前まで全く同じだったのにたった一度のズレで全てが変わってしまう事態が読者に伝える意味は大きい。ある場合は文章の流れや内容以上に特定の言葉に意味を与えてしまう。それを嫌うシナリオ書きや文章読みは「選ぶ意味が不明瞭で結果と結びつかない」選択肢を好んで使ったり「なにをどう選んでも結果は同じ」選択肢を使ったりして、選択肢が文章の読解に及ぼす影響を排除しようとする。「物語メディア」を自称する今どきは選択肢の効用を排除するほうがトレンドとさえ言える。