ロスの話

 えー。流通でロスは必ず発生する。例えばグローバルにモノが流れればそんだけロスは出る。モノが動かなければ動かないでロスが出ないかわりにモノ自体が陳腐化するとゆーかそもそもモノとして見出されないので、どっちを選ぶかというだけの話なのだが、とまれグローバルだと効率的とゆーわけでもなく常温超伝導みたいにはならない。

 じゃあ実際どうロスが処理されるかとゆーと大雑把な話としては流れてく各流通の節目ごとで徐々にロス分が積み上がっていって、どっかで倒産とか破産とか債務者の自殺とか蒸発とか、そんなんで誰かがロス分を請け負って蹴り出されてチャラになり、つーことは借金を苦に自殺してくれてる人のおかげで現状の流通が維持されてるというのが問屋と小売の両方やってる立場としての雑感。技術革新というヤツに人の生き方が追いついてはない。や、流石にこの歳になると仕事がらみで死んじゃった連中の話は幾つもあるしさ。コンビニ経営に失敗して自殺するのもまぁ普通だし営業が単身赴任の果てに自殺したんだか突然死するんだかもまぁ。

 そのへん「物語」や「宗教」の効用というか無宗教国といいつつ死人に失敗を背負ってもらって人が生きてけるように社会がきちんと出来上がってて、多分全員が開き直って借金を返さなくても自殺しないで強かに生きていくと現行経済が破綻するんだろーなと。変革の痛みに耐えつつ構造改革がグローバルな速度に追いつくぐらいの速さを誰もが維持できるとなると、それはなんつーか構造そのものに頼らない人種を大量に増やすということなので、そもそも構造変革に頼んないとゆー話になる。実際は「世代交代」という形で年寄りに引退し死んでもらうので、ようはそれなりに損をして失敗して負けてひどい目にあって死んでくれる年寄りがいないことには流通というのは成り立たない。変化に死はつきものというか、変化の一つの極として死人は出ないといけん。

 そーゆーのを競争の原理と普通は言うわけだが、競争てのとはちと違うと思う。社会を維持するために誰か死んでもらわないと困りますということなので、生贄を決めるドッジボールはやっぱスポーツというより宗教儀式じゃねえの。だからまぁ自民党で死んだけど、選挙で負けたら比例候補の名簿の上から数えての落ちたやつ死刑ぐらいはやっていいんじゃねーかなー。ちょうど名簿の当落ギリギリ中間あたりがヤバイですね。