オツカレサマ会の立ち位置と後半の展開のそれ

 ゴシップ記事で取り上げられるのが「ひぐらしのなく頃に」だったりするのは、放置しとくと頭の痛くなる話だと思ってたりする。

 てのは、「ひぐらし」は単なるエンタメなので、世間で言うほど過激な内容でもないし、当然ながら人倫の考察なんぞしてないし、普通レベルに底が浅い。にも関わらず「ひぐらし」の「底の浅さ」をも「倫理的に深い内容」であるかのように読み込んでみせてしまえる人たちがいて。新伝奇とかセーブとかループとかゲーム的リアリズムとかゼロ年代どーこーとか現代世相評論してる面子のことな。

 で、ループがどうとかいう話だけならともかく、「ひぐらし」では後書きにあたる「お疲れさま会」のところで「この話は殺人を推奨する話じゃないです」などと言い訳を延々やってしまったり、のみならず本編の後半「解」で、それに準じるような説教臭い内容を展開してしまったりしてる。つか、8本プラス1本のうちのラスト3本は、あまりにも言い訳に終始してて逆に危険ですらある。そのへんの雑な部分が上記の評論なとこに混ざっちゃうと実に役に立たない脆弱な理論武装が出来上がってしまうし、「オタク文化の守護者」を気取りたがるような人らはその脆弱さを覆い隠そうとして袋小路化した理論武装に閉じこもるしかないし。現状「ひぐらし」近辺そのものは十分に売れてるので、そーゆー流れには(今のところは)関わらないだろうけど。売れなくなってきたときは実に鬱陶しい障害になることは目に見えてて。

 んで。ゲーム業界というのは全体としては既に引き潮なので、もう邪魔臭い気配が濃厚で。この先、ガチ守りに入っちゃうだろうゲームのレーティングの判断において、「ひぐらし」なんぞが中心的な話題であるような状況というのは、個人的には危機的だと思ってる。もっと、本当にセンセーショナルでヤバくて突っ込んだ議論をしないといけないような代物を見つけてきて「こっちこそ殺人教唆で反社会的だ」と取り上げて騒いだほうがいいのかな、ぐらいに。

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 ところで書くべきだと思うので書くが自分が最初に「ひぐらし」に言及したとき『花咲くオトメのための嬉遊曲』を同ランクに扱った。この評価ラインは当時も今も殆ど変わってない。「ひぐらし」が後半ほど見苦しくなっていったとはいえ、それは1〜4話が出ていた段階で十分予想可能な折り込み済みの可能性だった。この件はいずれ。