体液

 セックスで一緒にイクことを基本単位とみなすと名前と体液が最初に出てくる。名前のほうは勉強がおっつかないので(誰か記号論とか唯名論とか判る本を紹介してください)体液。

 例えば、少年漫画で身体を巡ってるのが「気」ばかりで体液じゃない、という現状が一方にある。『からくりサーカス』では「生命の水」を巡るお話なのにナルミは東洋武術を習うし。香港映画の影響かどうか知らないが、エンタメの身体操作術では体液循環はあまり見当たらず「気の循環」が目立つ。ジョジョも「波紋」「流法」だったのが「スタンド」に移行しちゃったしね。

 さらに言えば「子供向けは血を流しちゃいけない」し麻枝信者は「唾液が飛んだ」と言っては大喜びするし、どうも体液は通常扱われる描写の外に位置づけられてる。某T2もあり流体の身体だと怪物・悪役扱いされるていう印象も強い。

 あるいは電磁波や光線兵器系統のイメージが強かったバリアー描写はどんどん「割ったり触ったりできるもの」にシフトし固形物に近づいてくし、バリアー描写に影響を受けてか「結界」なんてのもドンドンと固いものになり、『結界師』では単なる踏み台にまで成り下がったりする。

 スプラッターまでいかなくても、なんで液体は「きちゃないもの」「怖いもの」になったんだろうと疑問を持ったなら、パラケルスス以前の体液を巡る議論は実は相当に「使える」んじゃないかという考えに及ぶ。だがこの場合に見出されるべきは体内の体液ではなく、体の外部に表出し身体の外部で循環していくもの、つまり「萌え」的な出発点で考えられた体液論だろう。

 とすると、「陰尿道」という選択肢は単なるネタで済まされる題材ではなく「気」という単語ばかりが飛び交う少年漫画系バトルに新しい潮流(まさに流れ)を持ち込めるのではないかと思われる。固形物としてのスカ トロはSFだが液体としてのスカ トロが伝奇であるというのは、そこに断絶と跳躍(つまり精 液を男の身体から切り離す発想)ではなく同化と繋がりとを見出せるという認識において成り立っている。