模様影

 昔、やまうちさんがアニメの影の描写を指して「模様影」と書いてたんだけど。

 浮世絵の頃の絵の技法として、人体に影がついてないのが普通の人なのに対して、人の身体に陰影がついてるのは幽霊とか鬼とか非現実的な存在を示してて。つまり「模様としての影」なんだけど。この陰影は西洋画の立体を描くための陰影の技法を輸入して解釈発展させたものだそうで。北斎あたりはそーゆー絵画の技法の東西の由来や使用法を理解して両方を使い分けるとオッケーって書き残してるという。

 で。
 文章も絵も、基本的には既にあるもののコピー、同じものを再現し続けていくことでしか成立しないと思うのだけども。「技術」って同じであるよう再現すること、繰り返せることを目指したものなので。

 絵を描くのに、既にある絵と「現実」の絵のモデルと、どちらを再現するのを目指すのだろうと。

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 見っけたので引用。

>坂本満によれば、西洋画法が日本に導入された16世紀からこのかた、日本の絵師は画法の違いによって異国人を示すしるしとして陰影表現を用いていたが、北斎国芳を中心とする浮世絵師になると、異国人のみでなく、幽霊や怪物、さらには相撲取りやごろつき、不具者といった、通常とは異なる性質の人々、さらには異常性、恐怖、不安、あるいは超人的な力の誇示などに陰影法を用いているという。一例として国芳の《浅茅原一ツ家之図》を見ると、画面両端の人物の肉体には陰影が付されないのに対して、包丁を持って女を殺そうとする老婆の肉体は、陰影を用いて描かれている。こうした版画に見られる陰影法は、陰影を意識したというよりは、記号的な側面が強く、立体感はあまり感じられない。つまり北斎の言う「模様」としての伝統的な隈どりに近いものと言える。(略)国芳は一方で風景描写においては西洋的な陰影法にかなり忠実に従っており、明治時代の小林清親などの近代的な浮世絵に連なると考えられている。

渡辺晋輔『キアロスクーロ木版画と浮世絵版画』(「キアロスクーロ――ルネサンスバロックの多色木版画」展カタログ/国立西洋美術館2005)