削りまくったり、追記したり、てのもあり、話題がワープしまくってて自分でも読めません。これはちょっと、いくらなんでも酷い。
幼馴染がクライマックスになるように作ったんですけどねぇ。これがクライマックスだと、ちょっとねぇ。
あと、言うまでもなく、全く誰とも示し合わせていません。いや評論の偉い人とロリコンがどうとか示し合わせたり出来るわけがないでしょう。いや本当に。
///
第20話 若葉繁れる 月村了衛 橋本カツヨ 桜美かつし たけうちのぶゆき
http://www.geocities.jp/spanishcastlemagic2005/utena.html
///
某所で
「いたる絵は滅びぬ! 何度でも甦るさ!」
と、『夏めろ』
http://www.acaciasoft.jp/product/natsumero/
を袋から出したが、誰も反応しなかった。うーむ。
いたる絵と眼鏡の関係について、「目が大きいから眼鏡をかけられないなどというネット上の妄言は少女漫画を100冊読めば嘘っぱちだと判る」と説明したのだが、少女漫画的な人体バランスって、やっぱ知られてないのね。こないだも『フルーツバスケット』の漫画を指して「いたる絵」とか書いてる人がいたし。ジャンプとエロゲしか二次元が存在しない人というのも多そう。
///
こないだから、キャラクターデザインで眼鏡をかけることについてずーっと考えてる。
「眼鏡は売れない」「眼鏡はいらない子」という。「ピアスが嫌われる」という話と素朴に結びつけるなら、やはり人体に外見的な欠損があることが、萌えるためのキャラクターとしては求められないつー話になるが。指輪もダメとなると、ゴシックロリータのデザインの話と関連しないとダメなんだろう。
白いフリルはオーラだが、黒いフリルは棘である、てのはまあ基本として。ゴスロリは様式として定着したが、あの様式に採用されてるデザインを他に持ち込むとまだ抵抗は強いのか。
自己主張、自己表現としてのファッションに眼鏡は否応なく含まれるわけか。そして顔の一部であるために取り外して考えることが出来ない。ああ、だから年上だったら許容されるわけか。ふむ。
そうなると、眼鏡を人体の中に取り込んで「眼鏡をかけていなくても心の眼鏡はかけている」とまで言ってしまうと、人体の理想形に眼鏡を含めて考えてしまっているという意味で眼鏡を忌避する態度の裏返しになってしまいかねない、か。難しいね。