僕からすると、フィクションにリアルの事情など入れ込んで欲しくないわけだが、フィクションも所詮は現実の一部である。当然ながら、現実と無縁でいられるわけではない。
んで。
作者の主張や思想がフィクションを介してそのまま伝えられる、といったようなレベルの話は、どうでもいいわけですが。
作品は常に作者の思惑と関係ないところでリアリティや政治性をまとうもので。
んでここhttp://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20070606#p2
ここんとこ高橋さんとやりとりしてて思ったのは、ガジェットだからいいじゃん、てのはまあ、そういう文化圏の中で収まるならそれでいいんだけど。
実際には、それらは文化圏の外へとごく普通に影響を与える。与えざるをえないし、外部と無関係ではいられない。さほど明確な区分は、当然ながらできないつーか、プロパガンダ映画だって無害なフィクションの様相をまとうものだし。
どーでもいいガジェットであっても使うことでそれなりにリアリティや政治性や党派性をまとってしまうので、そうして生じた外に向かう力を管理する責任はジャンルを消費する作者やファンが何割か請け負わないと仕方ない。
例えばループゲーですら、背景思想は山ほどついてまわる。ループでありながらそこで描写されるブレ幅や最後の脱出劇からは、時間からも空間からも束縛されない人間の超越的意志を無根拠に自明と見なす思想がでっちあげられてしまう。客は選べないのです。
まあ実際には、自明視される約束事が増えるほどジャンルの幅が狭まり新規客層を掴みづらい閉じたコミュニティになってグダグダになるのが先に来る問題だろうとは思うが。政治より先に、そっちを気にすべきだね。
自分がエロゲーを購入しプレイし支持することでナニを主張したことになるのか、なんて普段は考えもしないが。まあ、自分としては何も主張したことにならないのが理想であるし、僕は自分では世界で最も何の役にも立たず誰も望まないものへの信仰に生きられればと思ってはいる。つまり売れないギャルゲーの女の子の可愛さとか。
ただ、最近はハルヒがパレスチナに出没したりして、やはり、このセカイで永遠不変に下らなくて役に立たないままでいられるようなものは無いのだなぁ、と嘆息とともに悟らざるをえなかったりするのだが。やっぱり、壁の染みを見つめるしかないのかなぁ。