語る主体

http://storybook.jp/positlog.cgi?load=070329tm&id=sprite_20070402231712_447

日記に書くんだから、日記の書き手が主体だと思いますが。
例えばなんか議論みたいな二者間のやりとりの際に「内田樹が○○と言ってる(だから、それに従ってこーゆー解釈ができる)」て引用した場合、引用者は、その○○という発言の主体です。内田樹は○○という発言の主体じゃありません。内田樹という名前を出すのは、そゆ人が書き手に先んじて同じことを言っているという、その事実に対する敬意、リスペクトであって、内田樹に引用者の発言の責任が帰属するわけじゃありません。むしろ内田樹に攻撃が向かわないよう、全責任を引き受けるのが引用者の役目だと思います。そうじゃなかったら、議論は無限にさかのぼり、いつまで経っても終わりません。

あと、主題とかメッセージていう言い方をした場合、そこでは作品は固有の作品という独立した体系・モノじゃなくて、メッセージを伝える媒体として扱われてます。ですから、厳密に言えば、評者が主題やメッセージを見出した瞬間に、それは作品評じゃなくなると思います。メッセージは人に従属します。人を引き受けるのは作品じゃなく書き手です。

この、作品と人の区別ができてないんだろうと思ってますが。

>九郎
あれは、なんかいまひとつ興味のわかない名前をずらずら並べることで、くろーさんは世代闘争政治的に誉めてるだけであってホントに誉めてるわけじゃないよー、というメッセージになってるものと受け取りました。