ひぐらし話つづき

9本目にしてファンディスク「賽殺し編」おわり。

まあ、かなり作りの緩いファンタジーです。本文中でも言ってるけど、基本的には幸せなセカイと幸せなセカイの二択。あまり面白くはなかった。
本来、どっかを間違えちゃったことそのものを楽しむエンターテイメントとして評価されたと思うのですが、8本目「祭囃し編」もこれも、そゆ路線から外れています。なんていいますか、「選択」とか「ゲーム」とか「罪」とか、テーマ話みたいなのがちょっとばかり長い。
で、「ひぐらし」は、選択の概念についての考察や物語作りとしては尖ったことはやってないのですが、なんか、そゆテーマ語りの方面で「ひぐらし」を評価しようとする文章が、東浩紀氏を筆頭にちらほら転がってる。相変わらず業界ゴロまがいの雑な議論だと思う。

まず、「襲い掛かる陰謀と破滅を回避すべく努力する物語」という枠組みで見た場合、この「何度も失敗しては時間を巻き戻してやりなおす」ていう「ひぐらし」の手法は、物語作りの練り込みとしては通常の娯楽小説に比べて遥かに劣るわけです。

だってさ、ダイハードでもモンテクリスト伯でも何でもいいけど、緻密で外部に漏れないように作り上げられた悪役側の計画を、ありえないほど些細な偶然をきっかけにして綻びを発見した主人公サイドの一度きりの努力と才覚で覆していく、その困難な展開を実現させるべく練りこまれた作劇に面白さを見出すのが普通であって。
何回も全滅しては時間を巻き戻し、トライ&エラーを繰り返して作戦を練るんじゃ、緊張感の欠片もない弛緩したシナリオとしか言いようがない。それを「少年漫画的な努力と根性と勝利の物語」みたいな精神論で擁護するのは、有効とは言いがたい。