ガンソード17話の自主規制に見るネギま論

漫画の「魔法先生ネギま!」の最大の魅力とは何か。

それは、お色気漫画のフォーマットでありながら、裸が全くエロくない、という点です。

赤松健の作品は、その淡白とすら言い難い絵柄の方向性によってエロティシズムの発露を封じられています。その結果、エロなのにエロくない、コミケ萌えイラスト系列のキャラデザに見えるのに萌えない、という特異な立ち位置によって、国民的な漫画週刊誌であるマガジンの顔であり続けている。その人工的な脂っけの無さが、ちょっと濃い目の人から微妙に敬遠される理由ともなっています。
しかし、それこそが作品のフラットなダイナミズムを生み出している原動力です。

かつてるりあ046先生に「千雨のお色気シーンが萌えるし抜ける」と言って絡んだとき、僕にはそれなりの計算がありました。
たとえ「赤松健の絵柄が萌えない」と思ったとしても、少年漫画バトル風テキストを抜き出して賞味する態度をるりあ先生が取り続けるならば、赤松健の絵について「エロくない」「萌えない」と認めることは不可能である。なぜなら、エロティシズムのみかけ上の運動こそが、ネギまのあらゆるリアリティの基盤となっているからです。フォーマットとしてはエロい、だがリビドーは呼び起こさない。その観念上で行き場をなくした性衝動が読者のよく訓練された知覚によって同じくフォーマットとして用意された「萌え」「燃え」へと流れ込み、あるはずのない「燃え」「萌え」を錯覚させます。ですから、「エロいはず」と思っていない限り、燃える展開として読むことは不可能であり、よく訓練された読み手ほどこの誘導によって自分の脳内において求める衝動を呼び起こすことができます。