なんか「キャラ」と「キャラクター」ていう単語の使い分けを見かけたのですけど、あれはやっぱり『テヅカ・イズ・デッド』の用法を受けてるんですかね。だとすると、あの本の基本は世代の掛け橋のための方便というか、現在の萌えから逆算して手塚治虫を語る本だから、年寄りが萌えキャラを語るのに使ったり、現代っ子が昔の漫画や手塚治虫を語るのに使うのはともかく、現代っ子が現在形の何かを語るのに使うのは単なる反復というか無駄というか固着というか保守に走ってるような。守りを固めなきゃいけないような気にさせてるのは上の世代*1のせいでもあるけど、だからってあの本で語るのはやめたほうがいいと思うんだけどな。

*1:数で市場を制圧してる俺ら団塊ジュニア