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どうして、どうしたって対立せざるをえないのかが、そして、この文脈でそれが意識されるのかが、いまひとつ以上にわかんないなあ。
ものづくりの反対はものつくらないなので、「なれなかった」より「ならなかった」のほうが親和性が高いのですね。もう少し書くのなら、「僕は都市の設計士になった」ではなく「自転車の設計家にはならなかった」となっていることにセカンドチャンスを読み取るほうが好きだ、ということでもあります。
そいで、対立の結果、対立するというコトがどういう意味なのかもよくわからない。
ものつくらないので、対立するというコトが知覚されないことが理想なのですね。ですので、私の先日の述懐は、それなりにルール違反です。何を書いても誰からも知覚されなくなる、もしくは私が書いた事柄は誰からも認識されなくなる。直接的にはブラックホールのように、応用的には3K輻射のように、といった感じです。
消費者であることに拘りを持ってる、というのは自分が「拘りをもった消費者」*1だと言ってるのとほぼ同義で、だから「この種の感想を」書いたりすると宣言してるにほぼ等しいと思うんだけど
海野藻屑がペットボトルのミネラルウォーターをいつも飲んでるのを「拘りをもった消費者」と呼ぶのでしたら、その通りだと思います。
あ、「ぼくは海野藻屑だ!」と「消費者であることに拘りを持っている」は大体同じ意味です。
id:tdaidouji:20050826#p1の
うぎゃー。
は、
「ぼくのこと勝手に殺すなあ!!」
という意味です。