@oyomot: ね、「抜け」って言っちゃってるでしょ。論理てのが何なのかわかってないで「ロジカル」って使っちゃうわけですよ。真っ先に気にすべき前提条件や証明すべき命題を「抜け」って言っちゃえる。これが「戦争のロジカル性」 URL
@oyomot: みんな、それぞれの範囲でロジカルに動いてるのさ。それぞれのロジックは互いに衝突しあうっってだけで
@oyomot: まあ、バカの言い分というか、戦争以外の世のなかのことごとく、それぞれのロジックで動いてるにを理解してないから「戦争はロジカル」とか言えちゃうわけですよ
@oyomot: 帝政の皇帝陛下がさ、技術的な戦争に勝ったはいいけど、国力疲弊して革命起きて自分が処刑されちゃったら、きっと、それでも現場の軍人さんは「戦争には勝った」って言いはるだろうなと、思うんだよね
@oyomot: 領主として差配し背負ってやってきたことの結果、周囲の人たちのやってきたことの意味を、生首を差し出されて、強制的に外部の視点に共感させられるからね。解雇した元社員の首を差し出されたら、納得してようが社会が乱世だろうがどうにもなんねえよ。
@oyomot: 共感、というか人間のカタチをしたものを介してしか、結局は外部への理解は及ばないしね。勉強するにしても抽象的概念を獲得するにしてもヒトのカタチ(自分と同質のもの)を足場に、そっから異質へと踏み出す。だもの、目の前に人間の首があって見つめあったら、理解せざるをえないよ
@oyomot: 現代だって自分が関わり合いがなけりゃ人間は薄情だし、乱世だろうと自分が責任を負うとなれば殺人とかやりたくないし、つか、なんで宗教集団が流行るかつーたら乱世な現世が辛いからじゃん
@oyomot: 最近の例の「日本の中世は人の命が軽くて」ってアレ、まあ「人間一人の命は地球より重い」へのカウンターを当てたい人たちが持て囃してるんだろうけども、あのへんの無暗にヒャッハーしたがる言説の流布の軽さが嫌でな。戦争だろうが乱世だろうが殺人はキツイだろ。つかキツイから天下統一に向かうんで