@oyomot: 最近、父が「俺は極右で極左だ」とか冗談のつもりでお客さんとかに話してて、かんべんしてほしいなあ、と思うのだが、たしなめても治らない。んでまあ、これもきっと、政治的意見を言わずにはいられないけど、政治的なキャラクターになりたくない、という捻じれた感覚からの一つの結論なんだと思う
@oyomot: そうして人はネトウヨになる。中国人や韓国人をネットという現実社会と関係ないところでニャーニャーと陰口ささやく分には自分の生活と関係ないし政治と関係ない。政治に手を染めたくない人にとって反中反韓は便利な理念なのだった
@oyomot: 政治的な意識をそろそろ持たないとヤバイかもしれない程度には切羽詰ってるけど、そこに立ち入ったらもうノンポリには戻れない。それはきっと怖いことだ。誰かと政治的意見を論じたりしないといけないかもしれない。かつて白い目で見てた政治的存在になりたくないのが僕ら一般市民だ
@oyomot: たぶん、中道左派路線、とゆー概念はもう存在しないのである。ノンポリであるためには中道であることも忌避し、はぐらかさないといけない(政治的態度を決定してはいけない)、ぐらいになりつつある。なぜなら、社会問題山積みの現状、ちょっとした政治的意見を持つことは一気に色がつきすぎちゃうのだ
@oyomot: 右翼はイコール暴力団だから、これも一般市民の範疇から外れる。政治家とか役人とか暴力団とかは異界の人なのだ。けどもサヨクはどうにも一般市民っぽくて、一般市民の延長で政治的意味を帯びてるように見える。一般人が一般人のままポリティカルになってはダメなのだ。
@oyomot: なぜ人はサヨクだと批判するのか、幾つか検討し、「自分はノンポリである」というアイデンティティに関係してくるからではないかと思いあたる(いまさら)。つまり政治家や役人は、市民ではないので、市民の行動規範の範囲から外れていても気にならないが、「一般市民」が政治的だとダメなのだ