「マン・オブ・スティール」ネタバレ

新スーパーマン、もしかしてネオリベ的なナンカだろうか。てのは冗談として。
多分、英語を理解できてたら、台詞がけっこうくどいんだろうな、と思いました。
今回、「クラークケントが成長していく過程で苦悩する前日譚」みたいのを、これたぶん監督の裁量でかなり短くしてんじゃないかと思うんですが、バットマンビギンズみたいな、かったるい真似しないでニュアンスだけ抜き取って提示、みたいな感じでして。シナリオが全体に奥の方に引っ込み気味のバランスになってて、字幕のおかげでそっちの方向に強化されてんのかなーとか。
そんなわけですが、新スーパーマン、実の親と育ての親、二人の父親が登場しまくってるにもかかわらず、どっちも影が薄い。いやちょっと違うな。なんか父と子の交流とか描きまくってるわりには、クラークケントの人格形成上に多大な影響を与えてるように見えないんですよね。
ケント家、人助けをしたクラーク少年に「正体がばれたら大変だぞ」と説教が前に出てしまってる感じですし。いかにも息子がぐれてひねくれそう。(いや実際に反発しまくった挙げ句にヒッチハイカーな放浪の旅に出ちゃってますが)
クリプトン星のエル家。こっちの親父もスーパーマンを形成するにあたっての導師の役割っぽい位置づけのはずなんですが(おそらくは昔の映画の流れを踏襲してる都合で)、なんせ描写が軽い。やっぱり意図的にやってると思うんだけど、敵宇宙船からロイス脱出を手引きするあたりでのエレベーターガールのような軽いノリのエスコートのポーズとか、親父の威厳なんてまるでないの。
んで、かわりに実の親と育ての親、両方の母親がすごいクローズアップされてる。クリプトン星の母親なんて出番ないと思うじゃない。それが不自然なぐらいに描写多いんですよ。しかも凄い格好いいの。んでクラーク家の母は、これ完全に「母との和解」がシナリオの中心軸になってるレベルの扱い。バットマンビギンズでもウェイン少年が直面する両親の死のシーンで母親のほうにウェイトが置かれてたので、やっぱり同じですね。
 
つうか、今回、出番の多い二人の父親なんかよりも、敵役であるゾッド将軍のほうが、あからさまに父性なんですよ。クラークの二人の母親に対し、それぞれに直接向き合うシーンも用意されてますし。
ノーランて人は心理学でプロット作りました、ってのが非常に判りやすく見えちゃってるんで別に誰でも察すると思うんですが、ようは「父殺しの物語」の構図があからさますぎて。ビギンズとホントに何にも変わってない。
そういやダークナイトライジングと同様に今回も米軍を出動させてますが、あいかわらず「アメリカという国家」についての描写は不分明で雑です。「僕はアメリカ生まれだ」って言わせてるくせにさ。そんなんだから、「9.11以降のヒーロー像」だとは、とてもじゃないが思えない。

そんなこんなで、バットマンの新規三部作から全く先に行けてないというか、バットマンの頃から微妙だったシナリオを、おそらくは大胆に切り貼りして誤魔化した監督えらい、ってなるんかな。