東京ゴッドファーザーズ

居間で見てたら父が反応して「これ作った監督って誰?」ときいてきた。
「(スタッフロールさしつつ)あれ。コンさん」「コン…トシ?」「コンサトシ。死んじゃった」「しんじゃったのか」「つい最近」

父とゆーのは「作り話なんか興味ない。本当にあった話だけ知りたい」と言いつつ大河ドラマは「本当にあった話」扱いで、直江兼続の幼少時の泣かせる人情話を見て「昔の戦国大名は子供の頃から偉い」とかゆっちゃう人で、ついでに言えばお笑いというとバラエティ番組の芸人のギャグなど全く解さず毎週「笑点」を欠かさず見て俺には理解できないところで笑ってる人なので、まあ、アニメとは最も縁遠い人種の一部に所属してる(たとえば宮崎アニメなんかは「作り話」扱いでオートで排除される人なわけで)と思って間違いないと思うのだが、そゆ人に「よい。面白い」と言わせる力が今敏監督にはあったんだよなー、とか思った。なんかの供養に。

クソみたいな理屈をこねくりまわすのが憚られる気分ではあるのだが、無理矢理に理屈をくっつけるとするなら、父が面白いつーて喜んでたのがオカマのハナちゃんの表情で、それも、アメリカの昔っからのなんとかトゥーンみたいな激しくディフォルメして感情表現してるとこで。つまり、あの「写実」「緻密な背景」「卑近な題材」と地味で「リアル」な材料を積み上げてった先に、いちばん「アニメーション」くさくまとめ上げようとして(クライマックスに近づくほど表情が派手に崩れて)ったのが、「アニメーションならではの表現」として、きちんと届いてるんだな、てなことを。当たり前すぎる話で書くのも恥ずかしいとか思っちゃうんですが、なんか、こーゆー当たり前のことが、「アニメに閉じこもったアニメ」と「アニメの外に出て行こうとするアニメ」とゆ−変な二極分化のスローガンで失われちゃうのかもしれないなあ、などと。