なんでもやってみるもんだ

 今回、ちょっとtwitterを外から殴ってみて、成る程と納得したこと。

 殴った感じが2chに似てた。つまりさ、ツイッタに比すべきは、ブログやミクシじゃなくて、2ch、それもVIPじゃなくて、昔ちょっとスレ住人とやりあってたPinkちゃんねる葱板やギャルゲ板のような代物なんだと思う。あるいは、アメリカ人が彼らの価値観の上に立ち上げた2ちゃんねるがついったなのだ、といった。そのへんは誰か指摘済みなのかもしれませんが、実感として。

 形式としては、ちょうど対極にあたるのね。匿名形式で話題・議題を軸にスレがどこまでも垂直に伸びていくのと、記名形式でほぼ過去ログを追いかけることが物理的に不可能なまま、ひたすら水平に広がっていくのと。それがちょうど極右と極左のように、表と裏の関係のようになっていて、んで「それ」を一度「外」に出て眺め触れたとき、同じ手触りだった。

 2chの匿名性ってのは、実際に書き込んでみるとシビアな代物だ。名無しである以上は外からの文脈背景を持ち込めず、一方で書き込みは語彙に改行に漢字の使用頻度、句読点の打ち方から書き込み時間までチェックされ、それが書き込み主の人物・人格・思想の全てになる。外部からの攻撃には団結するというが、個々の発言自体は番号もリンクタグも振られてるので、実質的にはバラバラで、狙って崩してやればあっさり分断される。んで肝心の匿名性も周知のとおり見かけ上に過ぎず、匿名という全体の中に埋没しようとするほど寸断された個であることが刻み込まれるようになってる。にも関わらず匿名であるという「名分」に縛られるため、イニシアチブが取れず受身でしか反応できない。主張することは突出を意味し匿名という全体からはみ出してしまうからだ。

 で、twitterは、個人の名を保持しつつ極限まで実質の個人であることを薄めてくようなものだろう。こちらは、ある意味で気楽に自己主張するための場なのだが、全員が同時(過去ログは見えなくなる)にミニマムな文字数で自己主張するので、それぞれの主張は平坦化し、突出することがない。

 どちらも、集団じゃない集団という特質になってる。逆に言うと、個人でありつつ個人じゃないし、個人じゃないのに個人。

 オチはないです。