青空にとおく酒浸り

 思うに我々は安永航一郎に物の見方の多くを学んできた世代ではなかったか。

 エバと聞いてまず思い出すのは、やはり「ホモはいいねえ」の名シーンであった。あるいは、卓球少女愛ちゃんの姿がTV画面に映し出されれば、誰もがそこに温泉卓球少女愛ちゃんの姿を見出さずにはいられない。

究極超人あ〜る」を今に至るオタクサークルの風景描写の原型として取り扱った安いブログ記事が以前あった。しかしオタクコミュニティのあり方を作風を通じて伝道し広めたサンデーの金字塔は、やはり県立地球防衛軍ではないか。イメージアルバムブームを語るにあたり<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/nm4004889">「元旦がきた」</a>を外すことはできない。

げんしけん」が参照していたのは本当に光画部だったのかという疑問は、おそらくはシリーズ全体のオチとなる斑目と春日部の関係を参照することで、あっさりと解決する。斑目が春日部を異性として意識した、キーポイントの回、テーマは「春日部の鼻毛が伸びていることを斑目が指摘するか否か」だった。斑目は結局、最後まで鼻毛が伸びていることを指摘しないまま終わってしまうが、その行動の違和感は全体の方向性をほぼ決定付ける。

 私もまた、現実に大学時代某SF研にてアコガレの白衣メガネなセンパイに「おじょおさん、鼻毛がのびてますよ」と指摘した経験を持つ。その経験から言わせてもらえば、あの台詞をものにしたときの多幸感には、やはり「お嬢さん、鼻毛が伸びてますよ」(びしぃっ)とゆー安永航一郎台詞を一生に一度は言ってみたかった、という部分が少なからずあった。本来ならば、アニメ台詞や漫画台詞を現実に持ち込んで一人悦にいってニヤニヤするキモオタ性癖をことさらに強調されていた斑目が、「おじょうさん、鼻毛がのびてますよ」(…ププ)と、言わないわけがない。だって、俺がそうだったもの。

 にもかかわらず、斑目と春日部の鼻毛を巡るコミュニケーションは、そのようなキモオタ強調ギャグの方向には向かわず、安永航一郎的文脈は意図的に封印される。ケに触れずして安永を語ることは出来ない。そしてもちろん、ケは日常の暗喩に他ならない。オタク的日常が定位するはずの位置づけを、ケの封印によって失わせしめ、創作という要素を持ち込んでしまったのである。

 商業誌における安永の長い沈黙を考える上で、「げんしけん」の鼻毛をめぐる歪曲の問題は外すことはできない。それをこの本の表紙における強調された鼻毛は暗に指摘しているように思えるのである。