第9地区

 ほどよくB級。なんつーかいわゆるヌルオタの日常会話を題材にした萌え4コマオタクアニメ的な意味で全てが予想通りでその予想通りの展開にニヤニヤするタイプの。ニャル子さんの、1巻から4巻まで現状のとこ展開もオチもいやになるぐらい予想がついてしまってとりあえずニャル子さんに萌えてみないことには始まらない感覚に似ているかもしれない。いやネフレン・カーは予想してませんでしたが。

 擬似報道番組を装うのは予算不足を隠すためなのだけれども、なまじっかネタ的にアバターと被るので、アバターでの報告書として記録映像を撮影する部分を思い起こさせ、それが興味深かった。つまり「報道番組風味の映像」と「映画本来のシナリオや主人公をおっかける素のままのカメラ映像」とが、かなり無根拠に説明無く混ざり合ってて、まぁ常識的にいえば、かなりだらしない作りになってるのだが、そうした混乱した映像もしくはしまりのなさが、結果としてヌルオタ礼賛アニメであるところの「乃木坂春香の秘密」の好ましさに通じもする。

 どうも、アバターみたいな形ですら、彼らは現状の最新VFXな映像と付き合うにあたり、映像の形式性みたいのを参照し経由する必要がありそうで。一方で、その形式性と、手にした映像手段とをどう位置づけるかにおいて、迷いがあるか、さもなくば、混乱を抱えているかに見える。なんでアバターのあんな巨大かつ金のかかってそうな土木機械のカメラアイが、三次元立体をとらえるタイプじゃなくて古臭い監視カメラ映像のままなのだろう、といった。

 あえて言うなら、全部アニメになっちゃった結果としてカメラレンズの位置づけってどのあたりなんだろうという把握が曖昧になってんじゃねえか、と思えるのである。なので、TV局報道や、あるいは監視カメラのような、既にある映像の形式性にカメラの存在を仮託しちゃう。それは具体的には映像の上に上書きされる文字記号〜監視カメラの時刻表示やTV局のマークといった〜の形をとる。まず映像をモニターという平面に釘で打ちつけて、そこにベタベタとレタリングを貼り付けないと収まりがつかない。映像が文字に従属している。そうした映像の抽象性を経由した姿を、この映画の明快な安っぽさは結果として判りやすく剥き出しにしてくれている、そんな気がするのである。