ソーシャルゲームのこと。

 見かけた。

tp://d.hatena.ne.jp/matakimika/20100318#p2

 面白いかどうか、儲かるかどうかというより、ダイレクトに業界やゲーマーの外側に触れる領域は、シャカイ認知とか道徳とか倫理とかに関わることでゲームの外枠の決定にそれなりの影響を及ぼすだろう。

 …この手の話題の場合、コアゲーマーほど当然ながら食いつきが悪いのだが、つまり彼らのコアな領域というのは、その手の関わってくる外枠から何光年の距離がある、ことになっているので。

 ただ、今までだと、コアユーザーとライトユーザーの綱引き、「売れるライト路線」と「売れ筋から離れたマニアック路線」のような単純な住み分けの図式で済んでいたものが、「社会に貢献する路線」という一極が参加してきて、話をややこしくするだろうことは予想される。んで企業は売れるライトユーザー向け対応とシャカイ貢献対応との間の調整を求められる。

 たとえばゲームが芸術だアートだ、という寝言。海の向こうの人は、けっこう本気でそういうことを述べるらしいが(アートじゃないと世の中に認めてもらえない厳然たる階級社会があるだろうことは想定される)、その手の思考が力をもってしまう場合。成長産業だったゲーム業界が頭打ち状況が続き、深刻なパイの奪い合いの果てに貿易摩擦のネタになる日がきてしまった。倫理の問題が貿易問題に結びついてしまったとして、そうした「アート性」というのは、けっこうリアルな経済問題になってしまいかねない。そゆのが、大枠としてのゲームデザインを変化させてく可能性は低くない。欲望快楽をダイレクトに掬い取ってくからこそ娯楽エンタメなので。

 戦場演習用FPSはハッキリ言ってかなり際どい代物だが、それらは当然ながら倫理道徳的に問題がないものとして擁護されるので、その反作用として当局は倫理に反した悪ゲーを名指していく必要にかられていく。けれどもちろん、当局が思いつくような反道徳的な代物というのは、ライトユーザーに支持されメーカーも守っていきたい価値観であるのが大半だ。

 当局も、ライトユーザーも、求める要求は単純明快である。自分たちの好きなものを守れ、俺たちに関係の無いものは社会規範を守るために捨てろ、だ。おそろしいことに、彼らは全員、社会人としての倫理意識をまっとうするにやぶさかでない。自分たちの好きなものを手元に置いておける限り。強い主張がぶつかりあい、適当なところで手打ちになる。ほどほどの規制、ほどほどの欲求充足。

 そうして、両者の視界に映らないものが潰される。