またどうでもいい話

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100210/1265810269

 社会に参加するとゆーといわゆる「社会人」になるのだろうかというと、別にんなこたーない。学生も子供も老人も引きこもりも浮浪者も、何らかの形で社会に繋がってる。立派な社会人、などとゆー概念を持ち出す時代でもあるまい。(つーか立派な社会人であることを求められた挙句に3万人が自殺する時代だ)

 買うやつは神様だというなら、仕入れてる自分はメーカーに対して神様かといえば、んなこたーない。今だって、メーカーは売りたくない先には売らなかったりする。買い手のほうが主導権を握ってるが、それは先手後手で先手が大幅に有利、程度の話だ。

 コンビニ本部は、理屈上は販売指導とチェーンの看板貸しと広告負担(あと不動産業等々)を請け負うだけで、商品の仕入れや販売には契約上まったく関わっていない形になっている。本部はその流通の仕組み上では、一度たりとも商品を本部の経理を通すことは、一切ない。(直営店でのみ仕入れと販売の関係が発生する)あくまで、オーナーの金を預かって、その金で支払い代行をしていますよ、という形になる。

 なので、取引上は、仕入先(ベンダー)と、オーナーの直接取引きの形だ。

 ただし、ベンダーの営業はタバコ屋ぐらいしか回ってこない。請求書も来ない。わざわざ、仕入先の請求書をオーナーの手元によこせ、という裁判が行われるぐらいだ。かわりに来るのは、自身では商品を仕入れも販売もしない本部の販売指導員だけ、ということになる。

 コンビニは、仕組み上、仕入先の顔が見えない。見る必要がないような気分になる。だから、自分が買う側だという意識にならない。そこで途切れる。

 その形に、自分の頭が最適化されてしまってるだけだよ。そーゆーのは営業マンの頭の形だ。確認しとくが、営業マンもまた、社会に参加してる立派な「社会人」だ。

 客は神様じゃないというのは、客に文句を言うんじゃなくて。自分が神様じゃない、という話だ。