説教くさいが、このへんは本当に気にかけてほしい

 たぶん、つまんない結論という話になるのだろうが、現実問題として、今、目の前に用意された判りやすいフォーマットを捨てて別のとこで勝負するというのは難しくて報われない、けど心がけてないとまずい話だ。

 現に、典型的に手軽な道を選ぶタイプだったブロガー高橋直樹は、Fateは直近の題材を巡っての再構成だったのに何か新しいもののように扱おうとした。あるいは、こりずに「この青空に約束を」についても旧来的な素材による再構成だのに、そこから新世代がはじまったかのように語った。どっちも、手堅いウェルメイドであって、「その先」「現状」を予見しうるような作品ではないのだが、とりあえず売れてみんながプレイしてて酷評はされてなくてといったあたりで、それを「手本」にするための方法論を語ろうとしたわけだ。ぶっちゃけ、「売れたからパクりたいので、そのための言い訳」だ。

 そういう態度は批判されるべきだが、じゃあナニを賞賛すべきかといえば、あとはもう、それぞれの現場での、細かいトライ&エラーを拾ってくしかないので。「こっからは新時代」「現代エロゲを考える」「2000年代を総括する」みたいな時系列と接続させるたぐいの言葉は作品評価に結び付けないように控えるべきだ、ぐらいしか言えない。

 そして残念ながら、そんな控えめな態度では、ブクマはかせげない。ブクマをかせぐために必要なのは、細かいひとつひとつを拾ってくような作業を公表することじゃなく、過程をすっとばして「効率的な情報」を提示することなので。それが実際に有効じゃなくても、「とりあえずのくくりでまとめる」だけで「効率化」は達成される。平均化、平準化、とよんでもいい。そういう書き方は、本流の学術研究とせめて古代ギリシャあたりから文脈をふまえて可能になるものでしょ、としか言えない。

 簡単に言えるのは、単線的な、一直線の歴史(発展)を語るのは日本人の悪い癖だから要注意、といった警句ぐらいだけど。判ってるつもりでも、「Fate以降」とかあっさり言うわけ。トレンドの名の下に。

 どこぞのNG入門では、なので、四本の補助線、というか四つの境界面を、バラバラに置いとく形で提示した。つまり、互いに関係のない事情の重なり合った形で「ノベルゲーム」のようなものが浮かび上がったが、例えば「AVG」や「VN」の形を自覚的に捨てれば、限界や「臨界点」などあっさり消え、別の視野が広がるもんだよ、と。