かきかけ

 キッチリ管理されてる著述業な世界はしらず。文責が成立しないブロガーな人たちが文章をやりとりする環境で、作家性みたいのや著作権の根拠たりうるような著作者の著作性はどこで成り立つかというと、書き手の文章内じゃなく外にある。そう変な話じゃなく法律の文章なんか著作権とか言わないわけだけども、文章が非人間性で出来上がってるわけじゃなくて、文章の外に人の形に焦点を結ぶ形式は当り前にある。

 そのため、今回に限らず言葉はしばしば宙に浮く。相互に同じことについて語っているように見えても、基本的には発話者のものでしかないような言葉を誰かに与える形にしてしまった場合。エンジンの燃焼室と違ってネットは鉄の壁で囲まれておらずガソリンに火をつけてもだらしなく燃え広がるだけで爆発はしない。言葉は他人に形を与えるが、その与える先が発話者間で行き違い見失われる。そうして宙に浮いた言葉を引き受ける人たちの出番となり、彼らもまた当事者になるのではなくて、他人に与える形で引き取る。そういうふうに他人に与える(押し付ける)言葉のことを、あるいは志と呼んだりする。原則、志てのは他人に押し付けるもので発話者がそれを引き受けるわけではない。自分に与える形で鎧をまとう人もいるだろうが。

 文筆家は本来は言葉で壁を作るのだろうが、今回は設計をいろいろミスってる。反応にまともにリンクせずに自分のブログだけで完結させる形を放棄して他所へ振る形に継いだこと。エロゲはレイププロパガンダだ等の発言が空回りしてること(エロゲマやエロゲ業界ゴロはそゆのスルーできる程度に慣れてしまってるし、エロゲもそんな話に使えるほど文芸的にマシな題材じゃない。エロゲがレイププロパガンダだなんて判りきった話だ)。作った気になっている壁の内側は勝手にやってればいい。外にだだもれしているのを半年後だか1年後、3年後に再炎上させない処理(処理などしきれるわけでもなく、結局はただの自己満足だというのだろう)を勝手にやる。

 新聞記事や小説が書かれる管理された空間でない以上、宙に浮いた言葉は狩っておく。やってるのは言葉狩りであって創造的な作業とやらではないしピストンを回転させる必要も感じない(回らない領域だから)。

 あと、機銃の弾が数発当たればケリがつくカッコいい世界を期待するならネットの文章なんて読まないほうがいい。