もう少し。

http://ruriko.denpa.org/200902a.html#0701

 念のため確認するがシステム周りのレビューをする人という扱いで名指して書いてる。

 気になったのは「インフィニットループ」を実際にプレイしてみて話題からのズレを感じた点。シナリオとグラフィックとの連続性でいえば、この「関節キャラ」は作品全体の構成と密接に絡む。上記作品を「逆転裁判」とゲームシステム的に同質だと気付いて並べたかどうか知らないが、両者は文章とゲームシステムとの関連性で一致する。つまり「逆転裁判」もまた「全く同じ文章を何度も読みかえし、そこから抜け出そうとするループ脱出ゲーム」だ。

 そうしたシステムに対応したキャラクターグラフィック、つまり、いつまでも同じ姿勢のまま半永久的に立ち続けるのに適しているのが「インフィニットループ」の関節キャラになる。RPGのフィールド内の立ち姿のキャラクター、あるいはコミュニティサイトのアバターあたりが最も近い。考えてみればプリンセスクラウンにしたところで物語を進めるよりただ突っ立っているのを眺めるか、脈絡無く操作して好き勝手にキャラクターを動かしていたほうが楽しかった。ならば、立ちっぱなしをいつまでも眺めるのに適した関節キャラは「読むタイプのストーリーシナリオでのキャラクターの芝居や演出」には向かないのではないか。本作内でも感情表現の豊かな宰相閣下が大仰にアニメ的に動き、「関節キャラの魅力」よりも強い印象を残す。

「動き」は「動かないもの」との相対で表されるのが基本だ。アニメであれば人物を動かさず背景を流すことで移動を表現する。身体全体が常に動きつづけているような関節キャラが採用されるのは、実は全く移動しない閉じた舞台、時間変化を拒絶したループの中ではないだろうか。もちろん、そんなシチュでもゲームにはシナリオが存在し、時間は進行する。どうやって? 「逆転裁判」での裁判のクライマックスのように、キャラクターグラフィックそのものを差し替えることによって、だ。

 では、振り返って。それらは「立ち絵による芝居」なのだろうか。感情表現、身体の動き、そうしたものを示すような「芝居」なのか? Fateでも立ち絵を二次元的に動かす演出が映えていたのはコメディタッチのシーンが主ではなかっただろうか。それはつまり「軽さ」や「本筋からの脱線」の演出では?