面白ければそれでいい

>要するにあれは「濱口クイズ」だったんじゃないかなと。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20081212

「文章情報で完全に推理可能な情報提供することは不可能」みたいな開き直りから「面白ければそれでいい」て態度をとるのは簡単です。

 ですが、実際には『ひぐらしのなく頃に』は「解」でもって「矛盾だらけな上に、つまんない正解」を提示しました。その「つまらなさ」は指摘されなければいけませんし、批判されなければいけません。そのためにこそ私は夏葉薫氏と共同で<a href="http://kaolu4s.jugem.jp/?eid=177">「井上喜久子真犯人説」とその推理の過程</a>を公開しました。「俺たちの推理と解答のほうが遥かに面白い」ことを提示することで、出題者の「面白さに居直る」態度は批判されうると私は考え、そうしてさらに、<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=200701">「ひぐらしの展開から竜騎士07の事情を推理する」</a>を実行しました。もちろん、そのほうが面白いから、です。そして、事実がどうかより、面白いか否かによって、「推理」は肯定されます。ですから、今後「ひぐらし」近辺について、どんな詰まらない実情を竜騎士07氏自身が公開したとしても、「面白い推理」のほうが勝ります。もちろん僕より面白い「竜騎士07はこう考えた」推理を皆がどんどんやるべきです。「○○とホテルにしけこんだとの怪情報が乱れ飛んだが、そのとき竜騎士07は」等々。

 現実の人間の事情や内心を勘ぐり・でっちあげて大声で語ってみせるのは倫理的ではない、などという人もいます。しかし、「推理するのは面白い」「推理の枠はこの情報まで」の組み合わせによる踏みとどまるべきラインを解体したのは「ひぐらし」の側でした。フィクションがフィクションであるためのボーダーラインやルールを弄んでみせることを選択した以上、それらの情報はスポーツ新聞などのゴシップ記事と同ラインでの扱いとなります。それを抑制し止めるなら、新しい線引きをしないといけません。

 新しい線引きなど実際に必要としていないのが現状じゃないかと考える方も多いでしょうが、それは単に先に進むのをやめたので線引きを必要としていないだけです。それで構わないなら何も言うことはありませんし、実際、無闇に先に進むモデルは全世界レベルで崩壊しつつあるのですが。