関係妄想つってリンクをもらったので

>ネットで文章を公開していると、さまざまな反応がありますが、その反応を気にする度合いは「自意識の当たり判定」と言えます。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081122/selfconsciousness

 コレ。

 釣りだよ釣り、で終わらせるとバカっぽいので解説すると、カノセさんとゆーリンク先の文章の人は、ざっくり「読む側」にリテラシーを求め「書く側」の責任を免除しようという思想というか政治的思惑で毎回文章を起こす人で、大雑把には「嘘を嘘と見抜けない人は以下略」の側の人。今回のも「書く側」の問題であるように見えて「どう読むか」の話になってる。見てのとおり「ブロガー」なので、要するに俺の書くことは全部許せ何かあったら責任は全部「読む側」だと主張してる、基本的には無責任な態度のブログさんなのだが(前に「パトレイバー内海課長っぽいよね」と当て推量の人物評を書いたらご当人をよく知ってる人に的確と評されたが、まあ、そーゆー感じだ)、ネットで文章を書く人が基本的に「ブロガー」である以上、そーゆー意見を否定するのは大変難しいという現状がある。

 で、上の「自意識の当たり判定」の話をそのへんを踏まえて考えてみると、解決法は割と簡単で、全ての文章に宛先を、主語目的語を書くのをネットリテラシーにするような運動を行えばいい。

>僕はflurry氏、有村悠氏ら東大グループの非常に執拗で冷酷な集団による瞬時瞬時の攻撃的短文を連携させた徹底的な嫌がらせを受けており、
http://nekodayo.livedoor.biz/

 名指しでさえあれば、そこに名前を書かれた人だけが嫌な思いをするだけで、他の人は他人事でいられる。宛名なしで書かれた文章では1000人が嫌な思いをする可能性もあるが、ここまで収束して撃てば二人との関係のみ、最小限の「当たり」で済む。他の東大に所属してる人も自分のことだとは思わない。もしそれでも「嘘を嘘と見抜けない人は……」という言葉を信奉するしかないと思うなら、自分の書いた内容が嘘であることを徹底的に周知させ、勘違いのバカを発見したら間違いを指摘するのがスジとゆーものだ。

 思うに、海外の本は小説であれ数学の理論書であれ、大概において「○○に捧げる」と書いてある。宛名のないのは雑誌や新聞の記事や掲載小説あたりだろうが、そう考えるとブログの「宛先のない文章」というのは形式として「無責任なマスコミ」以外の何者でもない。