いやもう、不毛の荒野の最たる世界だよねという

 まだ引きずるよスカイクロラ

丸山真男が書いたのは未だに「当たっている」。けれど逆に言えばそれは、
せっかく(人に恨まれるくらい本当のことを)書いたのに、何の役にも立たな
かったということでもある。
丸山真男に向けられたたくさんの反論も、のこらずその「バカのパターン」
を繰り返していた。それどころか、丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、
のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである。
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-33.html

 具体的には、過去の論争が時代を置くと過去を参照されずに全く同じまま繰り返されているよ、という指摘と、その原因を考える話。「タコツボ」という指摘もこの人が直接的な発祥じゃなかったっけ? んで、今の人がホットに語ってる話は昔も全く同じ議論があったとゆーのはご近所だと転叫院という人が大好きな指摘の方法。

 ある種の形式から一定のスピンアウトのルートを経て壁に突き当たる、その切断を作家性・問題意識つって喜ぶレセプターが出来上がってて、もちろん切れてんだから後に続きようがないのだが、その干潟に嵌り込んだ魚を漁ればレセプター所有者達は満腹になるとゆー。

 本当は、押井守という個性はアニメ製作の現場から遠ざけとこう、それが不可能なら

>ともかく、こういう人が監督として存在しているし、(中略)そんな監督との付き合いも、脚本家としては知っておいて損はないと思う。

 みたいな現場での対応の積み重ねをやっとこう、そゆのが問題、問題意識、問題へのアンサーだったと思う。

>困ったことに、丸山真男はいま読んでもぜんぜん「古くない」。これは丸山
真男のもちろん「エライ」あるいは「正しい」ところだが、「不幸」あるいは
「無益」なところでもある。

 積み上げ、積み重ねていくという行為に意味がある領域と、そゆのが無意味であるような領域というのは、どちらが善であるというわけでもなく、定義的に自然と設定されるもので。積み重なってくように定義されてる領域を「ループ」などと積み重ならないように弄ぶのも、積み重なりようがない定義の代物を積み重なるかのように語ってみせるのも、どっちもどっちだと思う。

 もちろんこういう僕の愚痴もまた「丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである」に回収される。