二次創作の話

 キャラクターが物語と不可分であるのは特定の範囲内なら自明です。ですが、現状のエロゲやギャルゲでは、キャラクターという言葉、それと人物図像の配置が、何を足場にして成立しているのかが自明じゃなくなってる。切り離されたからこそ、浮き上がったキャラクターの根付く先を求めてキャラクターの持つはずの物語性について語られているのが現状だといえる。

 さらには創作が疑いなく信じられていた時代なら自明である必要もなかったとも言えます。でも現実的に言えばそこにあるのは二次創作やメディアミックスであり、あるいは二次創作やメディアミックスのために進化した技術です。もっと積極的にフォーマットと技術が固まったことで一次と二次が分離されるようになったという言い方もできます。

 実際ね、二次創作とは何なのかといったら、女性アニメファンを中心にした、キャプテン翼のファンジンの変形から派生した何かとしか言いようがない。昔はエロパロだってパロディとしての機能が認められてたのが、おそらくは量的拡大も手伝って、「山なしオチなし意味なし」によって創作性もパロディ性も機能不全になって、どこかで従来の著作物の概念を追い越した。『絶愛』がキャプ翼の若島津×小次郎なんて誰でも知ってるけど、だからといってキャラの名前を変えてオリジナル作品として雑誌連載されてベストセラーであることが著作権法違反になるはずもない。

 二次創作というのは、創作であるとか著作権との絡みであるとかいう以前に、そういう様式、フォーマット、文化圏であるとしか言いようがない。あるいは多分、著作権法という外部からの圧力も様式の維持に一役買っていて、その意味で二次創作は原作の作家性そのものであるとも言える。

『絶愛』の例だと「二次創作」は物語であることに依存しない。「特定人気キャラの派生物語」だったら『絶愛』は二次創作だけど、扱いはオリジナルだよね。絵も原作とは全く別物。二次創作であるのは名前が同じといったことに依存してる。これをキャラクターと呼ぶのは簡単だけど、この「キャラクター」は物語から切り離されて、むしろ切り離されてるからこそ同人ストーリーが描かれなきゃいけないという状況に置かれてる。

 法律は作家を守るために著作権を設定してるかもしらんけど、現実において著作権はキャラクターの尊厳を守るようにして働く。創作ならざるあり方を語るならまずここから。