携帯電話のなんかそれ

 ケータイアニメこと『絶対少年』今さら見終わり。3年前の話。

 基本的には携帯電話から入っていくけども、ガジェットが活躍すると電子機器が故障するのでクライマックスになると携帯電話が使えなくなる。ので、まぁ上手いなと思う。携帯電話以外の連絡手段として桜木町ガード下の壁アートやら駅前伝言板やらいろいろ用意してあって、もちろん究極には言葉を持たない正体不明のガジェットによるボディランゲージの交流がアニメ表現として用意されてるという作り。

 人の心の動きを脚本で請け負う作品じゃないので、というか作劇レベルでの心理描写についてはあえて投げてるんだろうけども、それを指して「雰囲気」「空気」と呼ぶのは違ってるだろう。空気と呼ぶには構図が遊びすぎてるし、淡い色調だから彫りが浅いというわけでもない。むしろ欲張った派手な話だし劇的とさえ言っていい。

 今さらだが携帯電話そのものが「劇的」なんだなと。横浜編の冒頭で登録してる名前で新規登場人物をサラッと紹介してたけど。脚本冒頭の主要登場人物紹介のように、それだけで作劇の範囲を限定してしまってる。つまり親和性が高すぎるのが問題とさえ言える。

 例えば会話のやりとりだけなら電話の応酬だけでどうにかなる。現時点だと電話だと1対1のやりとりだけに限定されるけど、それは決定的な問題じゃない。電話なしだと伝えられないことなんてのは、本当に当り前だが言葉の外にしかないわけだけど、それを言ったら小説も詩も言葉だけで言葉の外にあるものにチャレンジしてるのだし、電話だからって作劇にそこまで致命的なことはないはずで。もちろん、喋れないゆえに100kmの距離を超えて移動するものについても描かれてはいるが。

 携帯電話がガジェットのせいで使えなくなるというのは細工としては上手いけど、携帯が作劇のための小道具に終わり、その先を投げてしまった気がしてならない。例えば「ないすぼぉと」と先週のバカのそれは「携帯電話経由だと気持ちが伝わりませんつってマテリアルなとこに一直線に走って刃物で刺しました」つって丸ごと被ってるわけで。