某『靖国』の隣りでやってた映画を見に行ったわけですが。
なんていうか「ああ靖国を上映するような映画館で上映される映画なんだなぁ」ていう。
こうなった理由をなんとなく邪推すると、作り手が自分の中に「今」に接続させる接点を見出しえなかったんだろうな、と。だから現代の視点の少女を登場させた。その時点で事件は過去でしかなくなる。なんで過去と現代を繋げようと思った。本来ならその繋げようとするときの負荷こそ映画のテーマになりえたのだろうけど、そこに目を向けられなかった。過去の事件をただ昔語りになぞることしか出来なかった。
まず第一に、現代視点の少女(14歳)がセックスすることから開始すべきだったんだと思う。それを避けたら欺瞞なんだって。
実写の児童ポルノを規制するとろくなことがない←結論