「物語」が嫌になるとき

 ちょっと気になって「堀越孝一」で検索したらアマゾンのレビューをはじめあちこちでボロクソに言われてる。

>何しろ独りよがりの文脈で,脱体系化された構成,しかも語りは講談調,ときたものだから,普通の読者はついていけない.

>10ページも読めば疲労と頭痛を感じる。洒脱な文章だと思っているのだろうか。だからか?まさか。

 うんまぁ、『中世の森の中で』を初めて読んだとき(中学生ぐらいだったか)は堀越パートはまるで読めなかった気がする。今は読める、というか慣らされた。

 慣らされると、こうでなきゃと思う。塩野七生と名前を並ばされるのは酷いだろうというか一緒にすんなよというか。いや偏屈大王なのは確かだが。「ローマ人の物語」というのに、普段は何とは思わないけど、こーゆー並べられかたするとカチンとくるわけです。あんたにわざわざ「物語」などとことわりを入れてもらう必要はないよと。そんな硬直した言葉だけ指して物語なんて言うから物語が嫌になるのだと。