エロの有無

 ところで、話を蒸し返すと、性描写の有無が物語上で大きな意味を持つのは主に「純愛もの」である。当事者にとっての性行為の意味が相対的に重いし、目の前の恋人との関係がシナリオの軸なので手軽に無視できない。

 例えば『 ToHeart2 』の十波由真PS2とPCのXRATEDでは結末が微妙に異なる。PS2では口論の原因は「見合い話」で、結末は男性主人公と結ばれてオチがつく。ところが、これがXRATEDになると「進路」が口論の主題に戻ってくる。

 表層的に言えば、PC版ではラストのHシーンの伏線のために口論の前に男性主人公とのいさかいが解決している。だから「見合い話」は家出の原因にならない。「付き合っている相手がいる」で済むからだ。
 そこでPS2版で「とりあえず大学進学」とややモラトリアム延長の玉虫色の解決だった進路問題が、PC版で改めて蒸し返され大学進学と合わせて進路を決定付けるような結末が用意される。

 言ってみれば、エロゲーフォーマットにあわせた一度の性行為のために、シナリオの大半は全く変化がないにも関わらず、由真の人生は大幅に変わったのである。

 とまあ、これだと、やや不公平な物言いだろうか。

 だが、前作の『 ToHeartからして、性行為は逸脱のターニングポイントとなっている。これは『同級生』あたりの過去のナンパフォーマットや、あるいは『とらハ2』や『この青空に約束を―』あたりの共同体維持フォーマットとは明らかに方向性が異なる。

 性行為を持ち込み得ない空間に性行為を持ち込んで旧来の共同体から逸脱していくのが『 ToHeart 』PC版の基本的な形だ。あかりも志保も、性行為は共同体維持の側から見て起きてはならないアクシデントだった。両者の攻略情報を見ればわかるが、あかりは「ヒロイン二人の同時攻略必須」という特殊なシナリオ構成において、志保は選択肢で「気のおけない喧嘩仲間」として返答するよう要求される点において、恋愛相手として見ることが許されない相手であり「攻略対象を攻略しようとしてはいけないシナリオ」(byアシュタサポテ)だった。この倒錯がVN導入によるゲームシステムの排除から生じ、性行為により既存の世界から逸脱していく形式を成立させる。由真はどこぞの『 Sense Off 』のように主人公との性行為によって世界の殻を破ったわけである。