アージュがらみで、ゲームシナリオの話

 コンピューターゲームのシナリオやアイテムって、アングラ文化的な匂いが残ってて、メインストリームを笑い飛ばすとこに存在の根拠を見出す人って多いわけですよ。Wizの頃からフツーに「カシナートの剣」とか出してて、学園Wizでは本当に「巨大ミキサーを装備してブルマはいた冒険者」というビジュアルを拝めたりするんですけど。

 エロゲーも、そーゆーアングラ文化圏への帰属意識が強い。てゆか、昔のエロゲを買ってた人たちの大半、アングラ礼賛ですよね。更科修一郎なんか典型だし、ポストモダンとかゆってるヒトがエロゲシナリオの流れを見出したのって、そゆアングラ志向の自己弁護の成れの果てだし。

 実際の作品でも、RPGやポルノグラフィの主流文化圏は別所にあって、それに対するカウンターやパロディを狙うのがエロゲ本来の姿なり、みたいのを随所に感じる。シナリオはパロディで主流を茶化しつつ、ゲームの根幹であるゲームシステムは本格的で面白い、これぞ硬派のエロゲてのがアイデンティティ

 それが「エロゲーシナリオが原作のアニメ」が量産される時代に。映画や小説が本流でエロゲーシナリオはそのパロディであれば良かった昔は去り、エロゲー自身が「オリジナル」のシナリオや世界観を創造し自分の足で立たなければならなくなった。その「メインたりうる<オリジナル>のシナリオ・世界観」を提供できたのが、ビジュアルノベルの、特にKeyやTypemoonであったというのが、葉鍵や月が古参のエロゲーマーからイロモノ扱いされる理由だと思います。

 んで、昔の価値観を引きずってるとこが、そこに乗り遅れた。エルフがあかほりさとるを呼んで「らいむいろ戦奇譚」を出すに至る思考って、その迷走の典型ですよね。「オリジナル」たりうる物語を「サクラ大戦の変奏」に見出した。そーゆー形でしかシナリオを見出せなかったっしょ。アリスソフトのランス復活ってのは逆に「メディアミックス」自体の飽和が見えてオリジナルて言葉に縛られなくなった帰結とも言える。

 で、君望マブラヴって昔のアングラ価値観を抱え込んだままポスト葉鍵のノベルゲームの中心みたいなとこに引きずり出されて、「オリジナル」を出そうと迷走した、その象徴で。なんで「王道」を強調しなければならなかったか。自分が「王道」を理解してなかったからテーマとして掲げ、そして技術志向に道を求めた。だもの、製作も迷走するさ。