里村茜

 詩子の役割の曖昧さ。

 位置付けとしては、志保、七瀬、保科智子の神戸での友達。本来であれば茜の幼馴染について言及する役割だが、なにせ幼馴染は忘れられてしまうので、忘れる役という変な役付けで登場。
 もう少し言えば、ドラマの三角関係の機能しえなさの一つの現れでもある。「忘れる」というフレーズはONE、Kanon水月等で使用されているが、まあ、メタ話として一通りやりつくした題材。

 とりあえず水月で決着のついた話題なので、そっちで説明したほうが早かろう。水月では主人公自身がまず記憶喪失で「自分自身」を忘れており、そこからさらにヒロインたちとの出会いと別れにおいてヒロインのことを忘れたりもする。というよりループ形式なので、プレイヤーがゲームをやりなおすたび毎回忘れる。文中での指摘はされないが、遠回しに「今度は私のこと忘れないで」と言われたりする。

 で、シナリオの経過で忘れない展開というのもあって、まあ途中でヒロイン自身の人格が入れ替わったり入れ替わらなかったり消えたり消えなかったり別世界に行ったり行かなかったりするのだが、二人のヒロインと男性主人公による「三角関係」もまた、人格の入れ替わりや別世界いったりや消えたり忘れたりするののバリエーションとして描かれる。活発だったヒロインが「やな女」になるなど、三角関係の嫉妬という読み方も可能だし、実は途中で人格が入れ替わりましたとも読めるし、主人公が途中で別の並行世界に移動したとも読める。好きな解釈をしていいし、どれが真実でもない。

 多人数のヒロインのなかから好きなヒロインを選ぶのと同じ水準で上記のようなヒロインの真実を選べるようにすることで、プレイヤーによるヒロインの選択も相対化される。
 知りたくない嫌な真実については見なかったことに出来るし、それは嫌なヒロインを選ばないのと同じ水準でもある。作中の主人公とヒロインはどちらにせよ結ばれてハッピーエンドなので、あとはプレイヤーの嗜好で選べば良い。三角関係の確執というドラマ展開は、プレイヤーの勝手に見出す嗜好でしかない。

 逆に言えば、三角関係のようなドラマはヒロインの過去のトラウマ(過去に隔離することで無害化される)に落とし込むか、単に珍しいもの見たさで主人公の行動を脱線させる(他人事感覚)形でしか発現しない。結局、ドラマとは対象化された他人事で、選択に馴染まない。