雨と音

 アメサラサOP「アマオト」ききつつ茜シナリオ。

 茜については、あまり「見る」という行動が適用されない。茜は草むらを見つめているというより幼なじみがそこにいた当時に立ち戻っている。だから自分が草むらに行くことを指して「非日常」と呼ぶ。

 長森シナリオでの浩平が消えたあとの長森の独白。


留まっているのは思い出だけだ。
色あせない思い出…
その中に身を投じれば、わたしは辛くなる。



 また、浩平が消える瀬戸際では、忘れることより相手の名前を呼ぶことが茜シナリオの焦点となるが、そこで対比されるのは以前に浩平が茜のことを「長森」と間違えて呼ぶシークエンス。2回ほど間違えるのだが、そこでは相手の顔や姿を見ることより「長森」と呼びかける位置関係に茜がいることで浩平が駆動してるのが見て取れる。
 んで、浩平と長森の間にはそーゆー決められた位置関係というのが、じつはあまりない。一定距離に近付いたら誰であれ自動的に悪戯やバカ話をしかけるのが浩平。麻枝准的であるような浩平は、たぶん名前を間違えない。相手を欲しており対象化せずにいられないという言い方でも可。だから「子供」であり「永遠」を欲する。麻枝的ハッピーエンドではそんな自分達の行動を読み間違えていく。浩平と長森の二人の間で勘違いする分には素晴らしいと思う。

 なお、浩平が無造作に長森の名前を呼び長森の話をすることに対し、茜が嫉妬のような感情を抱くかどうかの言及は一切無い。目覚し時計は明らかに「毎朝起こしにくる長森」との対比物だが、茜が時計を贈るのは浩平の部屋で壊れた目覚まし時計を発見したからで、長森との対立図式は避けられてる。
 ちなみに目覚し時計が「ジリリリリッ」と音で自己主張する一方、長森シナリオの録音ぬいぐるみは音でなくメッセージ、つまり言葉の側に寄ってる。


そして、ふと悲しみがわたしの心を捉えてしまうと、このぬいぐるみに話しかける。
「うっす、おれ、バニ山バニ夫!」
「なにそれっ、呪いの言葉を吐く人形?」
「ううん、わたしを元気づけてくれる友達だよ」


※注:ぬいぐるみの名前は選べます。

 なので、茜の目覚まし時計と長森のウサギぬいぐるみの合成であるKanonの目覚まし時計のメッセージ機能の介在性はかなり興味深い。音と言葉、作為と無作為、ヒトとモノ、私的時間と公的時間。