続き

 ひるがえってコードギアス、次回予告を福山潤ルルーシュ)、アバンの語りをゆかな(C.C.)、物語の軸にいる二人が語ります。次回予告の時制や視点は明らかに「現時点でのルルーシュ」で、ガンソードの予告とは時制の置き方が逆、一方でスクライドは「カズマの本心をかなみが勝手に読み取ってしまう」という形式だったのが、コードギアスでは「ルルーシュが自分自身を語るように見えて、自分の本心を自分で掴み得ていないまま、自分に問いかけている」という形式になっている。

 さて、今回の話題、ゆかなの語りがそのままC.C.の語りかというと、今のところはそういうわけでもない。むしろ、客観的な語り手になりうるC.C.をストーリー展開に巻き込んでいこうという意図もかいま見えて、どうもC.C.と声をかぶらせることによる語りの詐術のようにも見える。
 近いのは「銀河英雄伝説」の「後世の歴史家」ですかね。銀英伝と違うのは、あっちが「もっともらしさ」を過剰投入する手段だったのに対し、谷口監督の使う「語り」は映像が軸であるために語りが常に「うさんくささ」(言葉が真実を伝えているわけでもないが、かといって嘘でもない)とセットで提供される点でしょうか。

 まあ、ここまで引っ張っておいて何ですが、ゆかなのナレーションについては、TVでは見られなくても構わないアバンに配置されていることも考えると、さほど重要性は高くなく、むしろ、これから巨視的な視点の言葉では語りえないものを映像で語るのです(映像作品は全てそうです)、という程度の捉え方でもさほど問題はない気がします。