続き5

そして最後に、最も決定的と思われるのが、みかんの、保健所の職員とおぼしき相手への失語症状です。
作品が異なりますが、同じシナリオライターの同時期の製作である『リリカルなのは』の、

>>話し合うだけじゃ、言葉だけじゃ何も変わらないっていってたけど、だけど、話さないと、言葉にしないと伝わらないこともきっとあるよ!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=183238781&owner_id=264578

>>だけど!言葉を使えるでしょう!?心があるでしょう!?
>>そうでなきゃおかしいよ。ほんとに心がないんなら、泣いたりなんか、しないよっ!

>です。ここでは言葉を使えることと、心があることが並置されています。これは、なのは的には同じということであり、デバイスはただ使われる道具ではなく、心がある固有の存在であるということです。
http://d.hatena.ne.jp/simula/20060904

といった台詞と対比させてみると、ことの深刻さが明確になります。みかんは通常より遥かに高い言語能力を有するとされています。人型犬の一般的な言語能力について設定しておきながら、イレギュラーとしてみかんを扱っているという作為性も決定的な意味を持ちますが、そのみかんが、保健所の職員や他の会話能力を有するものたちと、言葉を交わすことができない。ドラマを盛り上げるためであれ何であれ、そこで言葉を交わせないという描写が省略されずになされたことには違いない。みかんは共同体の内部でのみ言葉を交わすことが出来る存在で、共同体の外部と接続する手段が(少なくともシナリオ内では)あらかじめ失われていることが示されます。