続き

そして以下、「最初の決定的な一撃」に耐えられなかった人の感想。

>このゲームの世界を平然と受容できる人たちの気持ちが私には全然分からない。

>本作はエロゲとしてというより、思弁的な喚起を齎すSF、視野を変えるセンス・オブ・ワンダーのSFとして、上手な作品ですね。

>以下は余談ですが、私としては、別の主人公がいて、獣人解放戦線みたいのを作って、獣人の人権(獣人権)獲得の為に人間どもと戦う話とかも読みたかったな。私がその戦線のメンバーだったら本作の主人公を真っ先に撃ち殺す。悪党ではないけれど、許せない奴ですよ。
tp://mazoero.hp.infoseek.co.jp/wanko.html

私の感覚ではパラレルワールドなり未来世界なり、文中の何らかの説明で僕らの今の現実に接続されていないのをSFとして読むのは原則ルール違反なのですが(例えば竹本泉はそうしたルールを厳守します。当り前ですが)、そのジャンル的ルール違反をやらないと受け入れられなかった、ということになるのでしょうか。

思うに都築真紀のシナリオは、受け手に踏絵を踏むよう求めてくるタイプなのでしょう。「リリカルなのは」シリーズでもその傾向は顕著に表れていると感じますが、それは例えば

>主人公にとって恐らく最も重い選択は、なんと「一択」の形で出てきます。
http://www1.ocn.ne.jp/~hkoba/gmemory/wanko.html

といった具体的な形で本作に現れることになります。ちなみに、上タイトルの「キミとボクのセカイ」はOP曲のタイトルです。狙うでもなく狙っている都築真紀らしさがよく出ていると思ったので使ってみました。

さて、話を前回の続きに戻して「ネコっかわいがり!」と対比させてみれば、違いは明白です。メインで取り上げられるのは個人行動のイメージの強いネコではなく社会性の高い犬。主人公の飼い犬となるみかんは作中「ネコっぽい」と評されるわけですから、この選択は意図的なものでしょう。そして、上の引用に見られるように、閉鎖環境の物語ではなく、人型動物の存在が当り前として受け入れられている社会を丁寧に描いていく。