小説のストラテジー

で。
もうちょっと早く出してくれ、と思いつつも、もっと前に読んでもあまり意味がなかったろうな、と。
書いてあることの大半は、自分がノベルのエロゲーやギャルゲーの感想や批評、評論にぶちあたってる間に得た考えとほぼ同じで、そのせいで読みながら自分との違いを考えるのにえらい時間がかかってしまいました。具体的には、奈須きのこ空の境界」は佐藤亜紀においてはどういう扱いになるんだろう、とか。

僕は「俯瞰風景」は大して多くない読書体験のうちではかなり異質でけっこうな衝撃を受けてて、例えば某所で「ライトノベル三大奇書」なる珍妙なお題が提示された際に誰も「空の境界」を挙げないことに不信感を持つ程度にはちゃんと評価してあげたいと思うわけだけどもそこまでの批評評論能力はなくて、そういう意見は検索しても僕以外の誰もいないわけです。普通に考えると小説の素人が同人の量産の紙屑に反応してるよ、となるわけですが、そこんところへ、力技でもとにかく「空の境界」を「正典」に組み込んでる笠井潔って凄い、と本気で感心するんです。

この調子でいくと「月姫」も「空の境界」も「Fate」も売れてるだけの洗練の欠片もない代物、て扱いになってしまうんですが、洗練されてない代物が、大抵ならどんなヘボでもプロとして経験を積むうちに多少なりとも洗練されてくと想像されるのに、奈須きのこはその洗練されてなさを維持したまま「Fate/hollow ataraxia」に至るまで月姫の外伝もの含めゲームにして5本も続いてしまうのは、ちゃんと地に足の着いた理由があるからで。

今のとこ僕としては「シナリオ付RPGの普及を中心とした、ある種のゲーム観・物語観に忠実であろうとしている姿」という東先生の「ゲーム的リアリティの成立」みたいな言葉しか思い浮かばない。ゲームていう、非常に煩雑で矛盾して単純繰り返し作業の多い形で物語を享受することに慣れた層への、そういう読み方に寄り添った記述方式。