レス

2006年09月25日21:03 みゃーこ

念のため書いておくと、「魔法の存在の正否」にまで話がたどり着いていないということは、なんか悩ましい問題に対してまだ対策をとる余地があるはず、ということです。

「なのは」は問題が深刻になる一歩手前で「前向き思考」をほんの少し先行させることで問題の収斂を避けているんだけど、手つきはけっこうやらしい。「魔法少女ガジェット」に対する弄り方なんか「お約束に忠実」と「引っくり返すこと前提」の組み合わせ、たとえば変身の呪文を唱えないことと変身シーンの連結のしかたに見られるように、伏線の張り方がしばしば視聴者の文脈性に露骨に意識を向けているんだけど、それについて、ストーリー内では説明を与え整合性がとられて解決してる。つまり作中登場人物は彼らの文脈において変身の呪文と変身シーンの文脈に意識を払っているのだが、それは例えば僕たちの持つ「魔法少女は裸になるのデフォルト」文脈ではない。

これやると視聴者文脈が半ば切断されてガジェットの記号性が際立つことになる。そして「なのは」は、絵としても台詞としても記号性に執着していて、まるで記号性を際立たせることで「本筋」から切り離しをはかっているように見えるのだけども、その切り離しは上で書いてきたように実は見かけ上のもので、本筋と連続している。
エッシャーの騙し絵のようなものですね。背景だったものが追いかけていくと鳥や魚になっている。