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続きなんだけど、細かい話題から少しづつ。『 Fate/stay night 』のネタバレ含む。

月姫でプレイヤーの選択の結果ヒロインを殺すのは全部バッドエンド
http://catfist.s115.xrea.com/wiki/wiki.cgi?action=SEARCH&word=Diary%2F2005%2D10%2D25

シエルのシナリオのトゥルーではアルクェイドと再度対決して再度殺します。相手が究極の不死の吸血鬼の真祖の姫だから死んだことにならないだけで、やってることは『 Fate/stay night 』の桜ルートでセイバーを殺っちゃってるのと同じです。ちなみにシエルのキャラクターは主人公である遠野志貴の影、分身として設定されており、シエルルートは『月姫』の表/アルクェイドルートにおける遠野志貴の「本来の自分」を取り戻すシナリオと言えます。
念のために確認しときますと、遠野志貴の七夜という一族の出自の裏人格らしきものが描出されるのは裏/遠野家ルートのシナリオ構成のメインヒロインである義妹、遠野秋葉と全面対決する琥珀ルートです。アルクェイドの17分割シーンは人格というより「衝動」なので。「七夜志貴」とシエルは作品としての『月姫』においては役割的には全く同じです。ちなみに『 Fate/stay night 』におけるシエルの発展形がアーチャーであることは言うまでもないと思います。シエルのネーミングは L'Arc-en-Ciel から「弓」を意味するものを持ってこようとして引用を間違えた*1わけですし、教会でのコードネームも「弓」。黒剣による戦闘方法もほとんど同じです。『 Fate/stay night 』は基本的には『月姫』の変奏、で全てが説明できてしまうぐらいに、要素的なものはそのまま持ち越しです。
で。
ごっつ簡単に書けば、ヒロイン=ターゲットを殺りたい/犯りたいという欲望をプレイヤーの行動選択と関わりなく遂行するのがシエルや七夜の血のもたらす殺人衝動の役割で、選択肢と地の文が地続きとなったノベルゲームで派手なストーリーの偏重の度合いが高まるほどに、主人公の意思に関係なく暴走する別人格が大事になっていきます。これは『痕』で非常に判りやすい形で出ていますが、つまりプレイヤーは選択肢を選ぶ際に重たい選択肢を選びたくない(「栞を選ぶとあゆは助からない(かもしれない)」などといった「虚構のキャラクターを殺す(かもしれない)」程度のリスクさえ回避したい、リセット願望とでも言いますか)、けれど主人公が事件に積極的に関わるそれなりに重い行動を取らないと、エンターテイメントとして話が立ち上がらない、というジレンマです。なお、『C†C』の主人公の「狂気」がその系譜にあることは押さえておきましょう。これはエロゲーをぐるりと見回せば、純な少年と濃いオヤジの二役を配置してそれぞれの立場からヒロインにアプローチするという手法が半ば定番化していることからも説明できます。気分が落ち込んでも構わないという人は、更科修一郎のコラムを参照のこと。
で、「エロはいいからエンターテイメントなストーリーを楽しみたい」といった向きには鬼作臭作的な濃いオヤジからのアプローチは邪魔ですが、ストーリーの核心がヒロインの抱える秘密といったものである以上、エロゲーにおけるストーリー展開はヒロインの内面に大きく立ち入らざるをえず、しかしそのような無神経で暴力的な真似はプレイヤーは請け負いたくない。選択肢で選びたくもないし、そんな行動を取る主人公には共感できない。よって彼らの役割は「鬼の血」「殺人衝動」「狂気」として扱われることになる。別の言い方をすれば、主人公からストーリーにおける役割、色彩を表面のみ取り除き、無色透明な視点でありプレイヤーの都合のいいコマとして動ける存在とするために分離した設定的な要素が、ヒロインを殺る/犯るという衝動です。
(念のため、ここで主人公が大きな背景を抱え込み彼自身の思想や感情を持っていたら、選択肢を出すのも大変です。「こっちの選択肢はこの主人公にふさわしくない」という判断がプレイヤーに働くために、選択のための事前情報がある選択肢は出しづらくなり、事前情報の欠けた瞬間的即断即決的な選択肢しか出せなくなる。実質的に複数ヒロインは成立しなくなります。こうして『Kanon』の形式において必然的に主人公は大事なことを忘れていなければならなくなり、主人公が記憶を回復するに従い選択肢の出現は減っていく。)
Kanon』はそうした負の部分を徹底的に欠落させましたが、それと同時にプレイヤーの達成感を充足させる要素も徹底的に抜き去りました。ヒロインが「救済」される理由は曖昧で、主人公はヒロイズムを発揮することはなく、栞からは抜かりなく「もしかしたら、私が助かったせいで他の誰かが助からなかったのかも」と釘をさされてハッピーエンド満喫気分は台無しにされる。言うだけですけど。
月姫』が異形なのは、そうした「殺人衝動」の正体を作り手が見極め損ねているところです。はっきり言って作ってる奴は自分が何をやってるのか理解してない。本能だけで書いたものを勘違いしたフォーマット適用で180度違う方向に歪めてるわけですが、私はそれを「売るため」だとは考えません。もっとずっと根本的な、日本のコンピューターゲームやTRPGの流れについて回ってる大きな捩れ(文化とも言う)を引き摺っているためと考えます。