ゲームと物語 その2

id:tdaidouji:20050623#p1の続きとして、id:pmoky:20050624#1119554528への返答として。

  • 前置き

まず、ちょっと便利だったので引用させていただきます。

逆説的ではあるけれど、私は自分の認識している「世界」と、「現実の出来事」にズレが起こった時にこそ「世界」とか「現実」を感じるのだけどなぁ。観念として認識している「整合性のとれた世界」こそが「世界」なら、体験・経験なぞ余計なことだと思うのだけれど、何故かゲームだとか小説だとか映画だとかでは、整合性のとれたものこそ「世界」と呼ばれている気がする。
http://kishiwadungeon.hp.infoseek.co.jp/memo200507.htm#0703-2

この意見には、私はあまり異論がありません。ゲームにおける整合性というのが、おそらくゲーム性と言われてしまうもののことだと思っています。先日の「ゲームと物語」という言い方で区別を言葉にしてしまう場合という条件、そこには「プログラムの集合」という考えからも「販売のパッケージ単位」という区切りからも外れてしまう「ゲームの概念」が出現してしまいます。「ゲーム性」という言葉は、おそらくはそうした「ゲームの概念」を一括りにまとめるために用意されるのではないか、と考えています。
一方で、ゲーム機で起動できるもの全てをゲームだと言い張るのが困難なのも確かですので、おそらく終わることの無いゲーム定義論争を避けるためには、とりあえずメディアという言い方で一括するのが妥当だと考えます。ただし、メディアという捉え方をした場合、ゲームは解体されゲームではない別のものになってしまいます。そこで、「ゲームと物語」という言い方を残しつつ、可能な限り「ゲームだけ」の形に戻せないかというアプローチ、のつもりでやっています。

  • 本編

では、先日の返答をいただいたところから。もはや、あまり意味がない気もするのだが。
id:pmoky:20050624#1119554528

戦闘機やエイリアンはゲームのルールを理解する手助けをするが、戦闘機やエイリアンはルールを表わしているわけではない。ルールの本体はプログラムに記述された、数の世界にある。付加された意味は補助的な役割を果たすだけだ。
この、ルールに付加され、ルールをわかりやすくする意味、これを物語と呼ぶことはできる。
このようなモデルで考えた場合、ルールと物語は区別できるといってよいだろう。

「ルールに付加され、ルールをわかりやすくする意味」ですが、私の考えつく中では、ボードのウォーシミュレーションゲームに付き物の「ヒストリカル・ノート」や「デザイナーズ・ノート」が最も極端にして典型的な例です。*1
ボードの戦争SLGは現実にあった戦争の一場面を切り取ったものが大半で、ヒストリカルノートはその戦争に至るまでの経緯や実際の戦争の経過、結末について記載されます。場合によっては登場する軍人についての記録なども提示される。
ルールブックの末尾に記載されたデザイナーズノートは、ゲームデザインのコンセプトやゲーム製作にあたって苦労した点などが書かれますが、実際の戦史を扱ったゲームの場合、しばしば「どのような史観を採用したか、現実の戦争のどの部分を強調したかったか」などが書かれています。
こうした記述はルールブックに載っているものの、ルールそのものではなく、ゲームデザイナーが目指したゲーム展開を理解し、戦術を研究するのに参照されます。id:pmokyさんが提示した「ルールに付加され、ルールをわかりやすくする意味」が、ルールから分離され独立した形で提示されている、と言っていいでしょう。
さて、ボードの戦争SLGはその性格上、戦史研究的な要素が密接に絡んできます。現実にあった「長篠の戦い」を再現するのに鉄砲三段撃ちを言い出したのでは訳が判りません。ですから、戦史研究書から引っ張ってきて、あるいは自分で史料研究して、実際の戦争の再現を目指さなければなりませんが、当然ながら歴史なんてのは議論が分かれるもので、戦車の性能ひとつ取っても真実は一つこの通りなんてのはありえません。ゲームを作る際も当然にどの歴史観を採用するのかという話になってきます。「ヒストリカル・ノート」や「デザイナーズ・ノート」は、どの歴史観をどのような判断で採用したかという話に、必然的になるでしょう。
このように考えた場合、「ルールに付加され、ルールをわかりやすくする意味」としての物語は、おそらくは「現実をどのような視点で切り取ってみせるか」を指し示す、「リアリティ」との兼ね合いの意味をなす、もしくはゲームにおける「リアリティ」そのものである、となります。
しかし、このような「リアリティ」を示すための物語というのは、コンシューマーのゲームではあまり強調されないように見えます。元来がアクションゲームを基本としているためか、どのジャンルでもデザインコンセプトがゲーム内で体感的に理解されるゲームを良作と見なしている気がします。(最近は容量が余ってるおかげか、チュートリアルが豊富になってきましたけど)

*1:だから俺が書くよりボードゲーマーによるボードSLGとコンシューマーSLGの差異の研究レポートみたいのがあったほうが話が早いんだけど