参考になるもの

その1(中里一日記 2003年1月6日

 オタク文化におけるメイド像が拡散しないでいるのはなぜか? 答はひとつ――「萌える」「萌えない」という基準によって、不適切なメイド像を切り捨て、優れたメイド像を残しているからだ。
(中略)
ギャル作品に登場する「メイド」は、現実に存在する人間を代表=表象しない。

「萌え」が具体的・物理的な存在の人間ではなく抽象的な存在としての人間を指し、「愛」「好き」とは異なる尖鋭を志向していることが端的に語られています。ここで重要なのは、

かつて日本の文壇には、「女が描けていない」という決り文句があった。文学作品をけなすときに使われた。この文句からは、「文学作品に登場する女性は現実の女性を代表=表象するものだ」という意識が読み取れる。
(中略)
「メイドが描けていない」「メイド服が描けていない」という評価を支えてくれる権威や素材や検査装置は存在しない。
(同 1月5日)

という前提条件が付されていることです。メイドが「人間」であることはもちろん前提条件であるにもかかわらず、その「人間」が具体的にどのような形態であるか、どのような性格であるかは「メイド」であるという言葉と一般イメージ以外は一切存在しません。これは「人間」という責任主体が時間経過の方向性・ベクトルを、「メイド」という記号が加速度を表しているという元長柾木の説明と一致します。*1
 

その2(「蜜の厨房」内 BBSやおい夜話『残酷な神が支配する』

なつみ > ボーイズラブじゃなくて、昔々のJUNEだったら、グレッグ&サンドラが死んだ時点でジェルミが自殺して終わりだな。じゃなきゃ、ジェルミがイアンに殺されて終わりだ。共に何も解決しとらん…。

みつ > そうそう、死んで終わり、美しく死んで「終わり」なのね。

U > 今のボーイズラブの場合は「永遠のラブラブ」が決着を付けてくれているわけですね。

みつ > そうか、やおいの決着は「死」か「永遠のラブラブ」でしかつけられないのか!

この他にも「永遠のラブラブ」の前にレイプが多いこともHP内で指摘されています。
こちらのサイトでは、ちょっと昔の話でありますがJUNE・やおいの「究極の恋愛」を目指し挫折する姿が解説されています。
あとどうでもいい話ですが、

U > 最新号では「オレはお前の100分の1も苦しんじゃいない」とは言っています。想像できない自覚がイアンに生まれました。

すももも > やおい作家がこのプロットで描いたらどーなるだろ (^^;)

みつ > 「100分の1も苦しんじゃいないがセックスはできるぞほ〜ら身体の温もりを信じなさい愛はそこにあるさ」になるかも(笑)

の「セックス」の部分に「事件の解明」を、「愛はそこにあるさ」に「真実はいつもひとつ」を入れたくなります。
 

その3「HentaiJapanimation4seasons」コメント欄

スタージョンの法則って基本的にSF者の思想ですよね。
(中略)
あらゆる存在は有意で完全なパズルの一片と捉えるのが、ミステリの理想なんで、愛すも愛さないも、クズというものはあっちゃいけないことになっている。
(中略)
それこそが真理だと確信しているし、実際に真理なんです。

今回の元ネタ。ああ、やっぱりどっちも両極端なんだなぁという感想から「SFとミステリは同じ思想の裏表」という思いを強くした。「推理小説積分」ていうのは「ミステリ=やおい」を思いついたあとのカップリング表記からの連想ですが、割と誰でも言ってそうなフレーズなのに検索に引っかからないのは、きっとミステリの偉い人が遥か昔に推理小説の一節か何かで書いてるのでしょう。
 

その4 斎藤環戦闘美少女の精神分析

オタク分析本。「セーラームーンってどっか他と違う」という直観だけを頼りに1冊書き上げちゃったというだけの内容で、ツッコミどころは多い、というか「戦闘美少女」ていう名前を採用した段階でスカ。なんだけれども海外アニメファンの声やら何やら、けっこう笑える。
この「セーラームーンは違う」感覚の主張だけはそれなりに鋭いと思いますが、それだけでしかないので下の「〈美少女〉の現代史」とセットで。
 

その5 ササキバラ・ゴウ〈美少女〉の現代史

で、上の「戦闘美少女の精神分析」への批判本みたいな代物。この項目での「萌え」は基本的にはこの本に依拠してます。ですけど、割と要注意物件。単品で読むと絶対に誤解を生じるか変な認識を植え付けられると思う。id:otokinokiで立ち上げようとして凄い勢いで失敗してる「萌えイラストの研究」みたいな話がサクッと整理されてる本で、逆にいえば整いすぎてるのが最大の失敗。漫画と劇画の相克の歴史とかTVアニメの苦しい製作事情とかフィギュアとか何かいろいろの事情が1本の線で繋がってるように見えかねない。書いてる側はそのへん遠まわしに逃げてるのだけど、「現代史」て名前はやっぱり失敗だと思う。どっちかというと思想書。
 

その6 吉田正高「二次元美少女論―オタクの女神創造史」

知ってる側的には意味のない、まあ十年後ぐらいには割と重要になるかもしれない萌え前史の本。タイトルが示唆的。戦闘美少女でもただの美少女でもなく、二次元美少女。つまりはこの本で提示される幾つかの分類が無効化した「萌え以後」では二次元が基準ではなくなるのである。コスプレが常態化し着色済みフィギュア・ガレージキットが定番化しアニメではCGが一般化しノベルエロゲーの背景が空間化し、全てが立体化の洗礼を受ける現在を逆照射してくれる。
 
あとで追加します。

*1:元長柾木はそのようなことを言っていない」という反論は受け付けません