前回の続きで

リンク先を追いかけてって、ゲームの論文を読んだ。

物語性と主人公に着目して
インタらネット内)

主な主張はひとつだけ。物語の主人公とプレイヤーのコマであるプレイヤーキャラクターを区別して考えろ、というもの。これについては異論は特になし。ノベルもののギャルゲーにおいてはヒロインが物語の主人公を担当してるのはもはや常識だし。
やっぱり残念なのは「インタラクティブ」ていう言葉が便利ワードになってるところかしら。わかっててやってるんだろうけど、ちょっとアジテーションくさい。

インタラクティブて何だ。

んーと、映画や小説や漫画と比較して、ゲームが取り立てて有利なメディアだとは思わない。時間や金銭など、消費者側が支払うコストが高すぎる、というのがその理由。ゲームはインタラクティブメディアである、などというより、消費者側がそのメディアを享受するにあたって行うべき行動を各ゲームタイトルごとにかなり大幅に改変できる、極言すれば1ゲーム1メディアジャンルという在り方が許容されている総合枠のメディアである、ていう言い方のほうがしっくりくる。
1ゲームタイトルごとにそのゲームが体現するメディアの享受の方法が異なり、その享受の方法を発見し体得するところまで含めてがゲームである、というのが「硬派ゲーマー」およびゲームの優越を主張する「ゲーム性至上主義」の人の意見であろうと思われる。
映画を年間300本見て映画を骨の髄までしゃぶりつくそうとする映画フリークや、小説や漫画を消費し尽くす人たちとの違いは、ジャンルの約束事の違いの改変について比較的敏感であること、だろうか。一方で特定ジャンルのみで量をこなす専門性については遅れをとるし、そうなると特定ジャンル内でのみ通用する微小な細部へのこだわりに対する感受性は相対的に鈍くならざるをえない。もしくは、そうした細部までこだわろうとすれば1タイトルに数百時間を費すプレイスタイルにならざるをえない。あとはまあ、消費スタイルの好みの差と言えるかな。

メディアとして他ジャンルと比較検討しようとするなら、インタラクティブなる題目を唱えるよりも、おそらく必要なのは「外部から導入された、プレイヤーに操作できない要素」を各タイトルごとに発見していくことと思われます。その中から、作品をひとつにまとめる、連続性を獲得するための要素を見出していく。って書くと「システム」て答えが返ってきそうだけど、それ何も言ってないので。時間とか、舞台となる町や学校とか、現実において当り前にあると感じるから比較的違和感なく受け入れちゃうけど、よく考えると詐術的に持ち込まれてる行動制限ね。ゲーマーから言うところの、バグが発見される境界線が見えてくるところ。そのゲームタイトルのメディアとしての特質をうんぬんするのは、そゆところで。上の論文の掲載されてるサイトでも、ゲーム評論はそうした手法で書かれてます。そのタイトルにおけるメディアとしての特質を見出した上で、その特質に合った内容を提供できているか、という。