ゴジラVSコング

だいぶがっかり。半分ぐらいはツイッタで感想を先に見て期待してしまった自分が悪い。もう半分は前作キングオブモンスターズが悪い。

前作を差っ引いて考えたらゴジラVSコングはそんな悪いわけではない。昭和の伝統的な怪獣対決の図式をきれいになぞり、ビジュアルを今どきに仕立て上げてる。人間の登場人物は過不足なく役割を全うし変に出しゃばるわけでもない。

けどまあ前作を見ちゃった後なんである。いまさら常識的な内容で満足できるわけもない。

前作は怪獣の論理が人間の論理に先んじていた。人間は怪獣の論理の前に平伏するだけの存在で、怪獣に近づければそれだけで悦楽に至る人たちばっか出てきた。

今作はほぼ人間の論理のみで構成されてる。まずゴジラもセリザワもゲストであり、話の主筋はコングで、そのコングは極めて人間的な存在である。冒頭から人間みたいな演技を強調し、人間と人間側の言語(手話)でコミュニケーションし、行動の動機も故郷を思うとか人間的なロジックで思考したもので、あげく原人のごとく道具を使う(実際の原人はあんな道具使わないだろうが)。類人猿を擬似人類とみなし、原人ぽく見せかけ、古代文明をほのめかす時点で極めて進化論的目線の欧州的な論理構成であり、人類と相容れないもしくは人類の文明より遥かに先行している怪獣存在という描き方とは方向性が180度異なっている。つうか、ぶっちゃけ白人の秘境探検物なんだよね。昭和ならまだしも現代でそれやるの? と首をかしげざるを得ない。

コニュニケーション相手を金髪美女から土着民幼女に変更し、単なるデカい人間と堕したコング(幼女とコンビで聖なる野蛮人扱い)の話以外も人間の話しかしない。怪しげなオカルト談義に興じつつ冒険する組は怪獣の話にはほぼ興味ない。興味あるのは人間の陰謀で怪獣の内的論理なんてコレッポチも興味ないんで怪獣にも出くわさない。そんで対決するのが人間を万物の霊長とする類の典型的白人で、やってるのはひたすら人間対人間の図式。傲慢な白人代表が滅びるのは自らの過信と傲慢によってのみであって怪獣に理不尽に蹂躙されるわけではない。リッチな資本家白人が怪獣の論理に蹂躙されずただ自身の傲慢の罪によってのみ断罪されるのを人間の論理と言わずして何というのか。日本人は日本の土地と日本人が善悪も貧富もなく怪獣の暴力に蹂躙されるのを受け入れてるが白人はちっとも受け入れてないのである。そんなだからゴジラもコングもメカも白人の居住地を無差別に踏み潰したりしない。中国資本だからねていう素振りでカムフラージュしつつ香港だけが無差別な破壊の対象とされる。前作の監督との決定的差異がここにある。

怪獣格闘はまあスピーディーである。巨大感なるワードに振り回されトロい戦闘に殉じた昭和の怪獣の気配は微塵もない。ビルが崩れるのも超早い。まあそれは趣味なんだろうと飲み込むとしてコングの「デカい人間」の位置づけが格闘で強調される。石斧振るうコングのつまんなさは理解できない人には全く理解できないだろう。類人猿は人間に見た目が似てるってだけであって人間ではなく、ゴリラに石斧を握らせる造形などゴリラの生態やゴリラの内在的なアイデンティティを毀損するだけである、と言って理解されるだろうか。まあ無理だよな、映画評判いいみたいだし。

出てくる人物造形が常識的な作劇の範囲でしかなく出てくるガジェットも古典的なものばっかで今どき何がどう受けてるのかまるで理解できないのは自分がオカシイ人の側だと受け入れるのは仕方ないが、せめて本作はゴジラ映画のホワイトウォッシュの代表例であり、本作を支持するゴジラ趣味者は昭和の名誉白人意識を未だ引きずった典型的日本スゴイ論者なのは意識しといてくれないか。メカの背中ギミックがカッコいいのは認めるからその話だけしておいてくれと願う。