@oyomot: 山本弘の例なんかそう。山本はあくまで作品単体の評価を語ろうとし、擁護する側はなろう小説という総体で擁護しようとした。作品評を語ることで擁護しようとしたの、一人ぐらいしか見なかったぞ俺の視界だと
@oyomot: なろう擁護はまともなの見たことないというか個別に評価するという軸を守りゃいいのに擁護する側が一括で語る時点で創作としては見られてないんだろうなってのは推測される。2ちゃんねるとかツィッタとか増田とかと同じようなもんとして読まれてるんだろう。フォーマットらしいし。
@oyomot: 送り手の都合は知ったことか、というなら、受け手こそ、わざわざ他人の書いたものなんか読む必要がない。自分で勝手に物語生成してろ、となる。
@oyomot: 受け手が勝手に物語生成するの自体は常に起きてることで、送り手が物語を用意するのは、受け手が自身の中で自己完結した情報処理を行なってるとこに異物を送り込むためのプロセス。送り手の物語プロセスがないと受け手は単に自己完結のみで終わる。
@oyomot: この子バカだなといつも流れてくるの見てると思うんだけど、これ話が逆なんだよね。受け手が情報を消化するために物語形式に脳内変換する(このプロセスは必須)なので、送り手側で送る情報をコントロールするために物語が用意される。URL
@oyomot: 結城友奈きつくて魔法使い嫁に逃げた
@oyomot: ソシャゲその他の請負ライターかなと思うけどFGOのアレ盛り上がるの見てると同情はする。”「異世界でこんなことがありました?」って言う日記みたいなものだ。”は、もっと正確には「なろう」というSNSよね / “ストーリー不要の時代” URL
@oyomot: RT @loderun: 「リアルロボット」という言葉はスパロボで初めて耳にした記憶があるけど、似たような表現だとガンプラのリアルタイプシリーズのことを思い出す。成形色を変えてデカールを付けたやつ(笑)
@oyomot: 「変わらなさ」と「変幻自在」の両者の緊張、対立と変転、みたいななんか。
@oyomot: たぶん、もうちっとマンガくさいというか、湯浅ちっくなメタモルフォーゼに対抗できるような固形感がキャラデザに欲しいんだと思う。クレヨンしんちゃんのようなデフォルトイメージが強いやつ。デビルマンは思ったよりキャラクターの強さがなかったつうか湯浅感に負けたというか
@oyomot: マインドゲームはそもそもほとんど上映してる館がなかったし(出張ついでで京都のパチンコ屋の上で見た)、とは思うものの、やっぱ、そこまで乗れないのはある(めっさ優れてるとは思うが