@oyomot: 何らかの主張があってブログ記事は書かれる。実際には主張の中身らしい中身は希薄で、書き手も自己主張してるという意識がなかったとしても、文脈とか連続性、継続性、網羅性から切り離された文章がそれだけで成立しようとしてる以上は、それは結構な強い意味の主張としてあると思うんだよね
@oyomot: 昔のさ、継続的な日記であるとか、データベースを志向した個人サイトであるとかなら、まあ中立性みたいなものを纏う意味もあったし、ありえたと思うけど、単発で抜いて読まれることを志向してるブログ記事の形式の時点で上記のような形はありえないわけじゃん
@oyomot: んー。そもそもブログ記事の文章なんて基本的にアピールであり主張なわけで、別にスポンサー広告だろうがボランティアだろうが個人的主張だろうが変わらんよなあ、という前提がまずはあろうかと思うんだが
@oyomot: マクドナルドの社長をイメージしてもらえれば大体あってる。店舗のフランチャイズ化という名の資産の切り売りとリストラで黒字を作って(これ自体は米本社の指示なので別に本社に逆らってるわけではない)業績あげたぜーってフリして、フランチャイズ化が完了してもう売るものなくなったらサヨナラ