@oyomot: 開けたくないので見ないで追記しとこうと思ったことを書く。たとえば艦これが今後も二次創作コンテンツとしてそれなりの規模をもって推移していくのなら、コミケ運営と角川である程度のガイドラインを決めてく、というのはアリかなと思った。出来うるならば二次創作の可能性を維持できる形で
@oyomot: うあー。いま開いたら通知んとこに39とかなってる。開けたくない。
@oyomot: 「泣ける艦これ」は、これは圧倒的に強いので、放置しとくわけにはいかない。となると、やはり、それなりに距離をおくことを強調しながら知識もまた獲得していくように、慎重にやっていくしかない、というのが当面の方策ではあると思う。
@oyomot: まあ、一番簡単なのは、先の大戦のそれとなるべく距離を置くこと、別世界のファンタジーであることに、きっちりしがみつくこと、ではある。艦これから入って歴史を学ぶ、っていう話とは逆行するけどね。けど、それだけだと「泣ける艦これ」という、コンテンツの核に近い部分に対抗できないのも確か
@oyomot: 単位が艦娘になっちゃったことで、戦いを命ずる主体との距離が近くなってるんだよね。てことはさ、艦娘の思考や感情の中身がさ、ややもすると国家のそれとシンクロしかねないぐらいの話なんですよ。そういう単位を新しく発明しちゃったのが艦これで、俺らはそれに対応しないといけないと思ってる
@oyomot: 数百万人のうちの一人が命令に従って特攻するのは、まあ歯車感があるっていうか、国家の主体とは、あまりにもかけ離れてるから、そういう特攻兵士の個人的な事情ってのが例えば泣ける話だったとしても、それは切り離されてるんですよね。けど、数百人単位の戦闘集団の一人だったらどうか。
@oyomot: 戦う根拠が正しいか否かの判断を、艦娘たちはしなくていい、っていう免責を得ていて、だから萌える側も余計なことを考えず気楽でいられる。けど、実際の第二次大戦の経緯の中で考えてくと、その「戦う理由を考えない」みたいな話って、批判の対象として考えなきゃいけない話でしょ
@oyomot: 艦娘にしてしまったことで、むしろ超えちゃいけないものを一気に飛び越した感はあるんですよ。なんか得体のしれない上からの命令に従って勝ち目のない戦いに挑んで全滅する戦闘集団だもの、そりゃ受けますよ。戦う理由を自分たちでは決めてないていう曖昧さも受けるポイント化してく
@oyomot: さらに言えば、艦娘という単位に縮小して数百人という数字になってしまうと、まあ例えば新撰組みたいな人数サイズだからさ、「命令に従って戦うだけの戦闘集団」であるにしても、「数百万人の中の一人」だったら歯車感があるんだけど、「数百人の中の一人」だと意思をもって命に服してる感があるのよね
@oyomot: もひとつ。確かこないだ読売新聞の記事かなんかで言われてたらしい(ネットの伝聞でしかなく記事を確認したわけではない)が、艦これについていえば、船を一個の人格に見立ててしまうことで乗員ら個々の人たちを見えにくくしてしまう懸念は充分にありうる話で。
@oyomot: 雨の中で建物見回ってびしょ濡れ状態なのだが、現時点で小康状態の様子(台風の目に入ったか)。この後もまた降り出すのかわからないので着替えられない。椅子に座ることもできない半端状態。
@oyomot: 問題は、そのような二次創作を含めたコンテンツ・コントロールについて、まともな見解を提供できそうな識者や運営者がいるか、というあたりだろうか。ことこのあたりの話となるとガイジン研究者を引っ張ってきたほうがマシと言えるぐらいの惨状に見えるが。東浩紀界隈が来た日には目も当てられない
@oyomot: 個人的には「そう」ならないようカドカワあたりが積極的にファンに働きかけてもいいぐらいだとは思っている。プラットフォーム提供者として「このように遊んでください」というサジェスチョンを提示することは不当ではない。
@oyomot: あと、なんか基本的なとこでズレてる気がするが、艦これで興味を持って史学や造船技術の道に進む人がいることは、一方で艦これで興味を持った先に国粋主義者に傾倒する人が出てくる可能性を否定するものではない。両者はどちらもありうるし、艦これ自体は、どちらの道も否定していない
@oyomot: どっちにせよ「こう答えるのが正解」という「正しい軍オタとしての答え方の作法」がくっつくあたりに苦笑せざるをえない面倒くささが思いやられてしまうが、僕の聞きたいことについて、大体において書いてくれている。次は、こちらの記事に対し筋道のある反論がなされるのか、か。
@oyomot: RT @manriki: 御嶽山噴火・江川vsJSF論争について URL 「「松本連隊はかつて「山岳レンジャー」とも呼ばれたほどの山岳地訓練を受けた部隊ですよ」と返すのが正しいあり方であり、第一声が「装甲車なら火砕流にも耐えられます」という…
@oyomot: 二次創作の特徴である「どこからどこまでを一個の作品とみなすのか見えにくい」ことが、批評を困難にしていく可能性は十分にありうる。そして艦これは、そういう困難さの最も目立つ最初の例になりつつある。
@oyomot: むしろ、やらなければならない批判をねじまげる形で関与して議論をこじらせることになる可能性のほうに注意しないとならない。元々、先行する小説や少女マンガにおいても、そうした批判の余地はあったし、先行する批評家たちがやってることではあり、そんなに困難な話ではないのだが
@oyomot: 付け加えるなら、この先「萌え美少女コンテンツ化」は、著作主体のあいまいな二次創作の広がりとあいまって、政治的もしくは倫理的な観点から批判されなければならないものが一定の割合で生み出され続けていくはずで、それに対し「美少女の心理やキャラクターを読み込む」というアプローチは無力
@oyomot: たぶん軍オタが過去において自分たちが趣味にしているものに対するエクスキューズがあったのだろうけど、それだと対応しきれないんですよね。それなのに「俺たちは分かってやっている」と、ずれたエクスキューズで対応しようとして見誤っていくんだろうと。
@oyomot: 自分たちが既に知ってるものが、わかりやすく外見だけ変化した、という捉え方をした場合、それは違うという話になる。新しい衣をまとったそれは既知の枠組みとは別物だという捉え方に移行しないといけない。
@oyomot: 軍オタや歴オタの艦これ擁護が性質が悪い方向にいきやすいだろうというのは、彼らは「艦これ」より前に「史実」や「軍艦」というコンテンツに触れていて、「艦これ」という美少女コンテンツがどういうものかについて思考が及んでないだろうから。
@oyomot: ただし見出すのはあくまで消費者サイドで製作者サイドにあらずという建前なので。消費者側が使用方法を意識して自主管理しましょう、というのが必要でしょうね。レジャーであったとしても無害とは限らない。スポーツも過剰にやれば身体を壊すし、登山や海水浴なら事故にあうリスクもあるのと同様で
@oyomot: 「日常物のヒット」は、常に「背景に控えてる悲劇的な結末」とセットでね。「艦これ」は、そういう消費形態に極めて合致しやすいから、綺麗にはまったと言える。
@oyomot: かつてだったら消費者は別々のコンテンツでバランスとってたと思うんですよ。それが今は二次創作や、あるいはゲームのマルチエンディングやマルチエンドを理屈づけするような「パラレルワールドもの」「ループもの」世界設定あたりが一般化して、キャラクターを軸に全部ワンセットで取れるようになった
@oyomot: 並列的な関係のために繋がりを見出しにくいけど、一方の「萌え」を享受すればエモーショナルな物語部分が不足するからそれを求めて物語成分=「悲劇的展開の元ネタ」を摂取してバランスとるものだし、悲劇的展開を享受してると重たいばかりは嫌だからとハッピーエンド的な成分求めて萌え日常に反応する
@oyomot: 元々「美少女に萌える」は「悲劇のヒロインに感動する」のと共同戦線をはることで成立してる(直接的に連続しているのではなく、例えば「悲劇的展開の原作」と「日常4コマな同人」のように並列的に相互依存してる)ので、萌える時点で「悲劇的な死を迎える運命」というモチーフに酔う、は避けられない
@oyomot: ああ。想定内のなかではあるが悪い方向に炎上してたのね。