昔語り

http://twitter.com/hachimasa/status/13436321410

 それは世代差。

エロゲーで選択されなかったヒロインが犠牲にうんたら」が、なぜ話題になるのか。

 それを話題にする人たちも、別に「ヒロインのことなんて人間だともなんとも思ってない」から、です。

 ほぼ最初に無駄に大騒ぎした人たちに付き合って以来それを眺め続ける破目に陥って約8年。「Kanon問題」とか新しい用語を得つつ、じゃあ、実際にKanonの話をしてた人、もっと具体的にKanonのシナリオ原文を引用してた人は、俺と今木さんの二人しか、見たことがない。

 つまり、話題にしたい人たちにとってKanonもヒロインもどうでもいい。フィーリングとしては「南京大虐殺はあった/なかった」議論ですな。現場の当事者や当時の状況についての掘り下げをする気はまるでない。

 で、南京大虐殺よりか、フィクションのキャラを話題にしてる理由は、無難だからですwwwwwwww フィクションのキャラの生死を真面目に問うたら、非実在青少年をめぐる規制にまで辿りつかなきゃウソだ。でも、そこまで本気にせんでもええという、ごく当たり前の暗黙の了解があるから、いつまでも弄くっていられる。ようは、なんか言ったフリをしたいだけです。

 もう一方にヒガシの人を置くと判りやすいけども、彼は地雷をよけて通る常識に欠けてるから、「Kanon問題」と同じ感覚で、南京大虐殺を話題にしちゃった。他の人は彼ほど非常識じゃなくて公の場で語る必要もないから、そこまで特攻してく必要もなかった。

 だから、「ヒロインのことなんて人間だともなんとも思ってない」のは、あなたが冷笑できる理由じゃない。当時はヒロインについて語らないと拙い事情があり今は切実さが遠ざかった。大雑把には、男性主人公を持ちあげ造形しないといけないムーブメントの結果、なんとなくのカタチとして、ヒロインを巡るゲーム構造的な事情は二の次でよくなった。その副作用としてシナリオのプレイヤーに訴えかける力は弱まり、その弱体化を見た目で誤魔化そうとして立ち絵芝居のインフレが激化し、その負のスパイラルからときどきヒロインを軸とした訴求力の強い構造形式へのアプローチを仕掛けなきゃいけなくて「Kanon問題」とやらに引っかかり、の繰り返しに陥った。んで、そのへんの波打ち際をキープしてれば、前進できないジリ貧だけど現状の最低の訴求力は確保できるようになった。「Kanon問題」の本質は、その千日手を求める人たちが常にいた、ということだと思う。つまり、女について語りたくない人たち。